2011/12/16

クリスマス茶会

先週から今週にかけて、依頼を受けた支援物資を届けることに集中しました。特に茨城のクラッシュジャパン、またそこで労されているフレミング宣教師と派遣されているカナダの福音バプテスト諸教会からの支援でした。

一つは「餅つき器」です。ある仮設のリーダーがお正月に限らず、餅を食べることが日常的になっているが、しかし、そうした器具も流されてしまい、支援の中にあればいいのだが、と話され、心に留まりました。これからお正月を迎えることでもあるので、できるなら実現したいものと考えておりました。このことを伝え聞いた「茨城キリスト教大学」の学生さんたちがチャリティーバザーを開き、餅つき器(一升炊き)購入のためにと、10万円の資金を送ってくださいました。

ちょうどタイミング良く、年末セールがあり、若干プラスし、なんと10台の餅つき器を購入できました。大手の量販店ですが、被災地支援であることを話しましたところ、予定よりもさらに割り引いてくださったのです。その好意に感謝したいと思います。

今回のこの支援は被災者個人の為にではなく、仮設住宅毎、共同で使用していただくこと、また貸し出しもすることで了解していただきました。と言っても南三陸町全部の仮設に提供できるわけでなく、公平性から問題になるかも知れません。しかし、この支援によって、住民の交流促進となり、その評判が広がって、さらに要望があったときは、その時に対応しようと考え、実行しました。

戸倉地区は各自治会長さんたちで話し合っていただき、切曽木、水戸部、波伝谷、津宮、神割崎の各仮設に、さらに大久保の仮設、中瀬の仮設の皆さんに贈りました。大きめの場所は二台となります。到着を楽しみにしていた方々、早速、餅つきの集まりの計画を立てている方、本当に素直に喜びを表していただきました。

もう一つは、体の大きい方々のための衣服です。LLであるとか、XLなど、普通の支援物資ではなかなか見あたらない大きいサイズのジャンパーや作業着、下着など、多くの数ではありませんでしたが、揃えていただき、海などで作業される方々に提供しました。そうした体の大きな方は皆さんが知っておられるので、そうした方々を通して届けていただくことにしました。四箇所ほどの地区で、用意したものはすべて提供できました。

JECAの「西堀キリスト福音教会」の関口貴子さんを中心に婦人会の皆さんが準備してくださった湯たんぽ(電子レンジ使用)約30個を歌津の升沢地区の年配者、この地区のリーダーの方に判断していただき、仮設の方々にも手渡していただきました。残りの30個ほどは大森地区の皆さんにプレゼントしようと計画しています。

次期予定

17日(土)新た支援についての打ち合わせあります。 20日(火)午後に大森地区の「クリスマス茶会」が予定されています。特にこれからの支援の在り方について、一緒に話し合う予定です。こちらの願いとしては、この地区の皆さんを介して、必要な支援の情報を得、この方々を通して支援が届くようにしていきたいと願っています。その支援活動、生き方について、聖書から学び、考えを共有できる方々への導かれることを願っています。 21日(水)午後に波伝谷での「クリスマス茶会」クリスマスの幸いをお伝えできればと願っています。 さらに、ブラジル人日系人教会から託された「子供たちへのプレゼント」をクリスマス前に届けます。限りある数ですので、どの地区の子供を対象にするか思案中です。この時に、南三陸町の図書館から譲り受けた図書をもプレゼントしたいと願っています。

2011/12/07

切曽木仮設住宅

12月4日(日)午後に切曽木の仮設住宅で「感謝芋煮会」を行うことができました。日程の調整もあって、この日の交流会となりました。人数はさほど多くなく、全部で50人足らずです。仮設住宅に入居している方々はほとんどが同じ地域の方々ですが、入居者同士の交流と、またここ地元に住んでおられる方々との交流も願っての「感謝芋煮会」です。このような支援は今回が初めてと言いますので、驚きです。私たちも、これを機会にさらに交流が深まり、この先につながればと願っての企画でした。

ここ数日は厳しい冬型の天候で、前日は雨、そして、この日は良く晴れました。しかし、特に強風が吹き荒れる中での取り組みとなりました。見通しが少し甘く、ガスの炎が風にあおられ、その分、火力は低下してしまいました。それでも何とか予定の3時頃には皆さんで暖かい芋煮を楽しむことができました。何人かお孫さんも呼ばれていて、とても家族的な集まりとなりました。

集会所は若干狭く、自治会会長さんの話では、地区住民と合わせた自治会の集まりを考えると、この倍の広さをが欲しいとのことでした。

今回はオレゴンの日本人教会「ホープジャパン」の皆さんからの贈り物、「ネックウォーマー」を届けました。また、また「イザヤ58ネット」の皆さんからの指定献金で、さらに追加注文した「ホットキーパーシート」、この切り曽木の皆さんにも提供することができました。

また、時間が前後しますが、11月30日(水)、南三陸町の社会福祉協議会が主催する研修会があり、出席させていただきました。この夏にオープンした荒戸にある福祉施設の会議室がその会場です。今回は二度目とのこと、課題が、現在ある施設を地域の方々にどのように有効に利用していただけるか、かなり具体的な取り組みについてのワークショップでした。そうした中で被災者、特に高齢に方々を孤立させない取り組みについて注目させられました。耕作作業とか「お茶の会」は有効な手段のようです。最近ではあちこちの仮設で社協皆さんが「お茶っこの会」を企画し、定期的に訪問しています。ただ、男性が会に出席しやすいようにするための工夫が必要のようです。単に飲み食いだけでなく、得意技を発揮した作業の機会を設けるなど、興味深い取り組みが紹介されていました。

自分たちの支援活動の継続を考えると、いっそう知恵深い取り組みが求められているように思います。また社協の皆さんとも互いに相乗効果をもたらすような協力関係ができればと思います。

次期活動予定

キリスト福音教会」の関口貴子さんたちが中心になって、婦人会有志の皆さんがお年寄りの方々のために電子レンジで温める湯たんぽのプレゼントを準備してくださいました。今回は二世代で暮らす家庭にクリスマスの贈り物としてと届けることにしました。また、在宅の方から被災された家族や、仮設にいる知人友人の方々に届けていただく予定です。地元の方々自身が被災者支援に心を向ける活動の一環として行いたいと思います。

茨城のクラッシュジャパンで活動するフレミング宣教師が男性用の仕事用ジャンパー等を運んでくださいました。また、要望のあった「餅つき器」、やはり茨城のクラッシュジャパンを介して茨城キリスト教大学の学生の皆さんが準備してくださいました。今週中に届けたいと願っています。これは個人ではなく、仮設住宅の皆さんが共用するものです。これも支援の原則とするもので、同じ入居者の方々との交流の一助になればと願ってのことです。

クリスマス前に、「クリスマスお茶会」を波伝谷、大森地区等の何カ所かで行う予定です。また、定期的な生活消費材(米、調味料、洗剤等)を送り届ける計画です。今回は特にカナダの福音バプテスト諸教会からの支援によって提供することになりました。

さらに、在宅支援の要望に応えて、来週末に、障害者の方ともお会いし、支援の在り方について話し合いの時を持つ予定です。

2011/11/28

童子下地区

26日(土)お昼を中心に童子下地区にある仮設住宅で、被災者と共に、被災者を受け入れてくださった地区の皆さんとの心温まる交流の時がもたれました。聖協団の中澤牧師の支援活動の中で良き協力関係を作られたいくつかの支援グループが参加、とても賑やかな活動になりました。そして今回も被災者であるが支援活動に積極的に行動している「M3R」の方々も労されました。

入谷地区は南三陸町の内陸部ですので、あの大震災が起こった時はおにぎりの炊き出しなど、献身的な支援を行った地区です。この童子下地区も同様で、今回は仮設にいる人、そして地元の人、共に交流のときとなりました。すぐ隣は入谷小学校で、この体育館に多くの被災者の方々が避難されておりました。

私たちはこの時期ならではの「芋煮」を提供しました。ただ今回はハプニングもハプニング、一時は中止しようと思ったほどで、残念ながら「山形芋煮」とはなりませんでした。文字通り苦肉の策で、何とも複雑な提供となりました。とにかく、素材の旨味が十分に調和するように工夫し、結果的には、地元のご婦人方に味見をしていただき、押しつけにならずに済んだように思います。幸い、120食分、瞬く間に、鍋底まできれいにしていただきました。

今回の支援活動のなかで、地元の人同士の交流、支援活動の輪が広がっていくことに、町の復興に期待感が強められました。それにしてもボランティアグループの活動と行政側の決断のちぐはぐさ、その実情を知る機会にもなりました。

また、週はじめの21日(月)には、福音伝道教団が提供された衣料関係の支援物資を仕分け作業を行った上で、戸倉地区の被災者、またこの地区から町外等に居住している方への届くように送り届けました。イザヤ58ネットの栗原さんを中心に労していただきました。

さらに中瀬地区の仮設に済む方々の要望にも応えることができました。どうしても婦人物が多く、働く男性の方々の必要に応えられるものが限られ、今後の課題としたいと思います。

さらに在宅支援の一つ、大森地区では、ここからそれぞれ仮設に移った方々へ、また被災した親戚、知人友人方に、この地区の方々がそそれぞれ届ける支援物資として「ホットキーパーシート」を届けました。大久保地区の仮設も、「ホットキーパーシート」は有効のようでその必要に応えることができました。本格的な寒さが来る前にできるだけその必要に応えたいと願っています。

次の予定

戸倉地区の切曽木地区の仮設住宅で「山形芋煮交流会」を行います。被災者、また津波被害を免れた地区住民の方々と共に参加する感謝会です。これは単なる「炊き出し」ではありません。芋煮以外は他のものを行わず、できあがればみんなで一緒に食し、十分な対話の時を大切に持ちます。ただ、今回はこの地区の都合もあって、12月4日(日)午後に行うことになりました。限られた時間ですが、次につながる一歩になればと願っています。

2011/11/22

支援のシンフォニー

先週は、一週間の支援活動としてはかなり盛りだくさんとなりました。14日(月)午後に「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」の集まりが本校において開かれました。今回は第一回目の8月の開催から比べると出席者は限られましたが、各支援グループ、団体の支援活動の現状を知り、考えなければならない今後の方向性を見通すことができました。課題としては、やはり共有できる理念、支援の先に描くゴールについて、さらに突っ込んだ話し合いができるかどうかです。

17日(木)から20日(日)まで、「イザヤ58ネット」の皆さんが今年最後のボランティア活動に取り組まれました。春から継続的に私たちの支援活動を支えていただきました。特に背後にあって支援、祈り、協力してくださった「福音伝道教団」の諸教会の皆さんに感謝したいと思います。さらに新たな視点で継続を考えてくださることを期待します。

一つのグループは石巻支援に二日間励まれました。特に津波被災住宅の修復作業、また19日(土)に開かれたゴスペルコンサートの準備に労されました。もう一つのグループは、17日に南三陸町、戸倉地区にある波伝谷の仮設住宅で開かれた「お茶っこの会」に参加し、特に被災者の方々との交わりや傾聴の時を持ちました。また、この地区の要請で洗濯物の乾燥機(5キロ用)を四つの仮設住宅(切曽木、波伝谷、津の宮、神割崎)に提供することができました。乾燥機は仮設住宅毎、入居者が共用するものです。他の支援物資の提供は17日、18日の両日、大久保地区仮設に冬物衣料を中心に、また大上坊、大森、歌津升沢地区には米と生活消費材(洗剤や調味料等)を届けました。こうした支援物資は「イザヤ58ネット」がやはり準備していただきましたが、米、500キロ分は茨城のクラッシュジャパンベースが提供してくださいました。また、フレミング宣教師たちを派遣しているカナダの福音バプテスト教会の皆さんの支援をいただきました。

19日(土)は東松島の「ひびき工業団地」にある仮設住宅での支援に従事しました。東松島は、「イザヤ58ネット」にとっては最初の被災地支援場所で、支援活動の原点になっています。その後、「蔵王キリスト教会」が支援活動を継続しています。特に次世代の子供たちのためにキッズブラウンの英語教室をも開き、地域の皆さんに喜ばれています。

今回は「山形芋煮」で、「SBSネット」が先に150食分、その後「蔵王キリスト教会」有志が50食分、担当し合い、皆さんに喜んでいただきました。蔵王教会は野菜や衣類なども提供されました。特に教会のメンバーが17~8名ほど参加されたことは大きな励みでした。午後には森谷の担当で「ホットカフェ」も予定していたのですが、持ってくるはずの肝心の器機を忘れてしまい、延期のアナウンスをしなければなりませんでした。ところが、蔵王教会のメンバーの親戚が近くにあって、珈琲ミルを借りてきてくださり、急遽、開店。十分なことができなかったのですが、なんとか予定の活動を終えました。また、イザヤのメンバーの一人、整体師の方が来訪被災者の方々の体をほぐしていただきました。

日曜日にはイザヤ皆さんが「祈りの家キリスト教会」で礼拝を共にし、共に交流を深める時を持っていただきました。

週明け、21日(月)は波伝谷、中瀬地区の皆さんに主として冬物衣料の提供を行いました。とにかく今回は「福音伝道教団」の諸教会の皆さんが予想を遙かに超えた多くの支援物資、主として冬物衣料や生活消費材などを運んでくださいましたので、善意の贈り物を有効に用いていただくために、この日も有志と共に動き回りました。何とか主要な物は届けることができ感謝しています。

次の予定

希望されている「ホットキーパーシート」、ホットカーペット等々を届けること、26日(土)は「童子下仮設住宅」での「山形芋煮」等の支援、また在宅被災者支援訪等を予定しています。そして切曽木での「山形芋煮」要望があり、日時を調整中です。12月に入って、クリスマスに関連したホットな時を考えています。

2011/11/15

小森地区仮設住宅支援

(公開したつもりでいたのですが、手違いあって一週間遅れになりました)

11月8日(火)予定通りに小森地区の仮設住宅で、炊き出しを主とした支援活動が行われました。今回は南三陸町で活動する複数の支援グループと連携しての支援活動です。特に注目すべきは地元の支援グループ、避難所であった「志津川高校」に避難されていた若者中心に結成された支援グループの々です。

小森地区仮設は230人ほど入居しておられるとのことで、私どもが100人分の山形芋煮を協力することで参加しました。さらに100人分は他のグループが地元の芋煮を作るとのことでした。こちらは芋は芋でもジャガイモで、味噌仕立て、また豆腐や白菜、人参などが入る華やかな鍋料理、そして豚肉です。とても興味深い芋煮でした。もっとも、地元でも実際に話を聞くと「私たちも芋煮は里芋ですよ」という方々もいます。「山形芋煮」も庄内地区と内陸では食材の組み合わせも、味付けも異なります。とりわけ味付けは、責任を持ったら自分の舌を優先して行わないと混乱が生じてしまいます。塩味の濃いのを好むと言っても、全体を濃くするよりも、その都度、調整するのが良さそうです。

課題としては、現場での調理ということで、かなりの時間を要しながら取り組んでおられたことです。私たちは食する時間に合わせてできあがるようにと、ある程度の下準備をして臨みました。そんなわけで互いの出来上がりに時間差が出て、特に住民の方々との対話では、私たちが期待していたようには取れませんでした。今後の課題として受けとめました。 この小森地区は旭が丘で出会った方が入居されています。そして今回の炊き出しも、旭が丘の責任者が提案、要望されました。旭が丘でお世話になった区長さんも来られ、皆さんとの再会を喜び合いました。そういう意味では、確かに今後につながる機会となり、感謝しています。

次の活動予定 次週は17~20日まで、今年最後の支援活動になる「イザヤ58ネット」の皆さんが来られます。石巻と南三陸町の二手に分かれた活動し、19日は東松島で活動する予定です。南三陸町では主として支援物資の提供と波伝谷の仮設での「お茶っこの会」を行い、傾聴のときとなります。また19日の東松島はひびき団地の仮設住宅で「山形芋煮」やカフェタイムを予定しいます。東松島は「イザヤ58ネット」の皆さんが被災地での最初の活動地で、その後は「蔵王キリスト」教会が引き続き支援活動を行っています。地区の皆さんとの信頼関係が深められています。

14日(月)午後1時から「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」が神学校で開かれます。実質的な協力体制の実現に向けての話し合いになればと思います。何よりも共通の理念、共有できる支援と宣教に関わる理念を確認し合えれば感謝です。

合わせて、南三陸町の在宅支援についての要請があります。どのようにできるか、現地に伺ってこれからの支援を考えていきたいと思います。

2011/10/31

波伝谷地区訪問

まさに「芋煮会」日和の週末、土曜日(29日)に、波伝谷仮設住宅の皆さんと山形芋煮をいただきながら、これからの生活について、また仮設住宅の課題等々について、穏やかな日差しを浴びながら話し合うことができました。波伝谷地区の住民の方々はこの地域にある仮設住宅の三箇所に分散しているようです。漁業関係者が三分の二、三分の一が農業に営む方々とのことです。今回訪ねたのはその一つ、50人弱の被災者家族、しかも全員、この地に住んでいた方々で、気心の知れあう方々が入居しています。梅やブルーベリーなどを育てていた地元の方の土地が造成され、仮設住宅が建てられました。

皆さんにお会いするのは今回初めて、先週、是非、支援活動をお願いしたいの依頼を受けて、この日に備えました。その歓迎ぶりは、初めてとは思えない親しみのあるもので、私たちも全く緊張することなく取り組めました。気がかりであった年配者の方がおられます。この方々への配慮を考えていきたいと願っています。

この地区の自治会長さんは知る人ぞ知る方で、「農魚家レストラン慶明丸」の経営者です。しかし、今回の大津波ですべて破壊され、流されてしまいました。これからのことについて、色々話している中で「小規模でも再開するようになったら是非来てください」とか「皆さんに紹介してください」と、何度か話されました。今の時点では、何も具体的な手がかりは見えていませんが、しかし、レストランの再建に向けた意志を感じることができて、とても嬉しく思いました。やはり、南三陸町の皆さんの願いは、かつて営んでいた仕事を再開できることです。

自分たちが取り組む支援は小さなものですが、その支援の先に願うことは、それぞれの方がそれぞれの本業に取り組むことができるようになることです。そうして初めて、復興と言えるのだろうと思います。その時、支援する、される関係の中ではなく、信頼と尊敬の中で、なくてならないもの、永遠に価値あることについて話し合うことができたらと思います。

なお、25日(火)に大森地区と歌津升沢地区方々の要望に応えて米を提供することができました。そのほとんどの米は中澤牧師のチームが所有する米でお預かりしていたものでしたが、状態から食べられなくなる危険性を回避するために、了解の上、利用させていただきました。「イザヤ58ネット」の提供分を加えて必要としている方々に提供でき感謝しています。主食は今後も定期的に提供できればと願っています。

今年最後の「イザヤ58ネット」の皆さんが来られる、11月17日(木)にも波伝谷を訪問する計画です。その前に、もう一箇所、切曽木地区の仮設住宅を訪問する予定です。

また、11月8日に小森地区の仮設住宅を訪問します。この日は中澤牧師グループの支援活動支援になります。

2011/10/22

大森での芋煮会

今週の20日(木)、久しぶりに大森地区の皆さんとの交流の機会が与えられました。私たちとの交わりというよりも、地区住民間の交流です。みんなが一つになって前に向かう力を得られればと思います。

今、シーズンの山形芋煮を楽しんでいただきました。大鍋二つ、150食分の芋煮です。食材は山形にある「元気市場」であらかじめ注文し、前日に受け取ります。里芋、山形牛、板こんにゃく、ネギ、ゴボウ、調味料として醤油、酒、砂糖、塩です。里芋、かつては、この皮むきが一作業でしたが、現在は皮をむいた芋を購入することができます。そして、その夜、塩を使って下準備、里芋のぬめりを押さえます。板こんにゃくはゆがいてあく抜きし、ネギは斜め切りに、ゴボウはささがきにして下準備完了です。

芋煮は全員参加型の鍋料理です。当日、特に大森地区は有志の婦人たちが自主的に集まり、おにぎりを握ったり、芋煮の作業に参加します。板こんにゃくをちぎったり、あくを取ったり、芋が煮えたところでお肉を入れ、肉のあくを取り、味を調えます。最後にネギを入れ、火が通ったところで出来上がりです。

通常は河原で釜を作り、薪を燃やすわけですが、今回のように大人数で、大鍋の場合はプロパンガスを用います。地元への還元も考え、地元の燃料屋さんにあらかじめ頼んでおき、当日、釜にセットしていただきます。一鍋、75食分ですが、ほぼ一時間ちょっとでできあがります。いつもガスボンベを運んでくださる方が、なんとのこの大森の住人でした。

今回の会場はこの地区のまとめ役、源六さんの中庭、景観の良い場所で、ここから志津川湾を見渡せますし、対岸にホテル観洋が見えます。すぐ下に降りれば海岸で、公園などもあり、芋煮の場所として、好都合なのですが、しかし、この地区の人たちは、まだ海の方に行くのを避けたい、海岸への抵抗感があるようです。

中庭にブルーシートを敷いて、ちょっと堅めですが、輪になっていただきました。この日は天候も穏やか、暖かい日差しの中での芋煮会となりました。今回も近所に住む年配の男性、かつてクリスチャンであった方ですが、ハーモニカで何曲か演奏してくれました。その中に「いつくしみ深き友なるイエスは」など賛美歌をも演奏されました。表情から、心は神様に向かっているように思えました。

次回の予定

来週は土曜日、29日に波伝谷の仮設住宅で芋煮会を行います。ここは中瀬町の仮設住宅で出会った「FMみなさん」の和泉さんの紹介で実施することになりました。波伝谷はほとんど支援グループは来ていないとのことです。最近、初めてお茶の会を開くようになったというのです。総勢50名ほどの小規模の仮設住宅です。私たちは支援の届かない場所に優先的に出向きたいと願っています。そしてその人たちの必要をお聞きし、その必要に応えられるように知恵を尽くしたいと願っています。何よりも人との関係を大切にし、三陸町の中で支え合うネットワークが生まれる支援活動になればと願っています。

なお、来週は私どもの宣教団から「短期宣教チーム」が来日し、支援活動に取り組みます。主として石巻の津波被害家屋の修復作業に取り組みます。この地区のでのボランティア活動、その必要はまだまだあります。お問い合わせください。

2011/10/16

大久保仮設住宅

12日(水)大久保の仮設住宅で、いわゆる「炊き出し」が行われました。きっかけは支援関係でお会いしている歌津の升沢地区で出会った家族で、その娘さん家族が大久保の仮設に入居したということ、しかも、目立たない地区で、さほど支援も来ているわけではないとのことをお聞きし、是非一度、訪問しますと約束していました。南三陸町で共に支援活動に取り組む中澤牧師に情報を伝えたところ、調整していただき、一緒にやりましょうということになりました。

ここには、仮設住宅に集会所がないので、文字通り「炊き出し」となりまりした。秋晴れの下、四つほどのグループが一緒になって取り組むことができ、感謝でした。これから、それぞれが、それぞれの導きで支援活動を展開してきましたが、今後はなおいっそう情報を共有しながら、ただ一つ、南三陸町の復興支援のために協力し合っていくべきだろうと思います。とても良い機会が与えられたと思っています。

良い天気にも恵まれ、最良の野外活動でした。一つは新鮮なサンマの炭火焼き、それに暖かい御飯、そして私たちの「山形芋煮」、山形牛を用いた芋煮です。今回は思いがけず、サマリタンズパースから予算の半分ほど、資金援助を受けられました。

芋煮は私たちの子供の頃から経験ですので、まったく負担感はありません。しかも実に手軽な調理ですので、初めての方でもすぐできます。理想はグループ単位でかまどを作り、煮込むのがいいのですが、今回のような支援活動では場所も限られますので、大鍋でやるのが効率良くできます。

里芋と板こんにゃくを煮込んで、里芋が柔らかくなったところで牛肉、牛肉は最初にさっと炒めておきます。そして酒、砂糖、そして醤油で味を調え、最後にネギを入れできあがりです。汁は余り多くしません。たっぷり里芋とお肉をいただきます。人によってはキノコを入れたりしますが、今回はゴボウを見えない程度入れてみました。またもう一つミネナル豊かな塩で味加減を調えてできあがりです。

今回は平日の昼ですので、持ち帰りの方々が多かったようです。しかし「芋煮」は温め直すとさらに美味しくなりますので、扱いやすい鍋料理だと思います。

次回は20日(木)、大森地区で、やはり「山形芋煮」を行う予定です。在宅被災者中心ですが、私たちが関係する前に、なんと支援を受けることを契機に少しずつ、 住民感情に摩擦、互いの信頼関係にギクシャクしたものが生じてしまったようです。聖書の原則に基づきながら、心からの支援を通して、こうしたギシギシ感が取り除かられ、受けることから真に与える人、支援する人たちになっていただけることを願っています。

2011/10/11

山形芋煮感謝会(2)

「山形芋煮二つ」のもう一つ、それは「大上坊契約生活センター」での芋煮会で、文字通り感謝の芋煮会となりました。と言いますのは、この地区の皆さんは海岸に近い方々は津波被害がありますが、内陸部は被災者の受け入れ、また被災者支援の取り組みに労されたからです。そして今では受け入れた被災者も仮設住宅に移られました。それでも、直接の被災はないものの、兄弟や親戚の方々のうちに被災者がおり、皆さん痛みをかかえておられるます。それでも少しずつ、本来の仕事が回復しつつあるようです。 この日(6日)はあいにくの雨、予報では午後に晴れるということでしたが、結果的には芋煮ができあがるまで、雨は降り続け、帰る頃になってようやく雨は上がりました。しかし、雨の日であったために、働きを中断しなければならなかった男性の方々が出席することができて感謝でした。

雨の中、外で芋煮を行うために、知恵を求められました。芋煮は基本的に野外ですので、いろいろな状況に対応しなければなりません。慌てることもなく、建物の軒を利用し、はみ出す分は車の後ろのドアーをはね上げ、ちょうど良い空間を作ることができました。駆けつけてくれた区長の及川さんが手際よくブリーシートを張っていただき、万全な状況で取り組むことができました。

イザヤネットの牧師が実習をかねて芋煮を実行する手はずでしたが、かまどをセットしている際にブロックを動かそうとした瞬間、ぎっくり腰になってしまい、ダウン。同行の姉妹による腰の体操指導で何とか動けるようになりました。芋煮で体が温まったところで、ウクレレの伴奏で賛美歌を歌ったり、全員で懐かしい唱歌を歌ったり、加えて、なんと一人の姉妹よるゴスペルフラを披露していただきました。手の表現の美しさに感動しながら、本当に和やかな時を過ごしました。

最終日で栃木まで戻るチームは少し早めに出発する必要があり、ぎっくり腰のリーダーは地元の方から腰バンドを譲り受けての運転です。名残惜しみながらのお別れでした。私たちはその後、地元の皆さんと後片付けをし、また再会を約束しながら仙台に戻りました。皆さんの震災時における労苦に、ささやかながらねぎらう「感謝の芋煮会」を持つことができました。

今週は12日(水)に大久保にある仮設住宅で芋煮会を行います。ここは、さほど大きな仮設住宅ではなく、近隣の方々を含めて100人ほどの芋煮となる予定で、今回は山形牛を用いる予定です。11月中旬くらいまで、南三陸町の各地で、体も心も温まる芋煮会を実施する計画です。

2011/10/07

山形芋煮感謝会

今週は「イザヤ58ネット」のボランティアチームの皆さんの協力を得て、南三陸町の二つ地区、中瀬町(5日)と大上坊(6日)で「山形芋煮感謝会」を実施しすることができました。また、並行して、4日から、石巻で継続している津波被害の家屋修復支援に取り組みました。

「芋煮会」 一つは中瀬町の仮設住宅です。この場所は、この地区の被災住民の大部分の方々が一緒の避難所生活をし、そして、同じ地域住民の方々が土地を提供し、仮設住宅が建てられました。そして、地区住民が一緒に、この仮設住宅に移動して来ました。河北新聞でも取り上げられるほどの南三陸町の話題の地区です。

避難所いるときから「RQ」のボランティアの方々が、それこそ親身なって支えてこられたようです。現在も毎日のようにボランティアチームが送られてきています。また、関東学院大学のチームも5週間にわたって支援され、その後、利府教会を介してコンサートなども行われたようです。

私たちのような小さなグループが、何ができるのか思い巡らしていましたが、図らずも避難所にいるときにお会いした家族がこの中瀬町の住民で、この方のリーダーシップにより、ささやかながら支援の機会が与えられました。また、この地区の区長さんとも出会う機会が与えられ、今回の「芋煮会」となったわけです。

少なくとも約140食分、これまでにない大量の芋煮です。芋煮は単純な料理と言えば単純ですが、引き受けはしたものの、入り交じる不安と期待の中での挑戦となりました。現在、保有する鍋を使用するとなると、五つほど必要になり、かまどや人員を考えると難しいと判断し、直径60センチの大鍋を使用することにしました。二つあれば十分間に合いますし、管理もしやすくなります。プロパンガスは現地の燃料店にお願いし、協力いただきました。

幸い、この地区の方々が積極的に応援してくださり、特に、この仮設住宅のために提供した地主、勝倉さんの配慮もあって、事を順調に進めることができました。ちょうどその日は「RQ」のボランティアの方々もおられて、さも当然のように、爽やかにお手伝いいただきました。

同じ中瀬町の仮設で、少し離れた高台にある仮設の皆さんや、集会所に足を運べない高齢者の方々にはにはこちらから、出前をし、楽しんでいただきました。

また、今回は神戸のボランティア「雑巾を縫う会」の皆さんから贈られた、手作りのナップザックや小物入れなどをお渡ししました。大変な人気で、150個ほどのものはすべてあっという間になくなりました。

これが一つのイベントに終わらず、この地区の方々とは継続的に交流し、実質のある支援が実現できればと願っています。現在、継続中なのが、仮設住宅の軒先に敷設する雨よけ造作工事支援です。

2011/09/26

感謝の芋煮会

一つのチームが、2週間連続のボランティア活動は、少し長いかなと思っていましたが、あっという間に終わりました。土曜日午後には皆さんを見送りました。「オレゴンからの愛」、日本人教会の「ホープジャパン」の奉仕に感謝しています。最初の一週間は真夏のような暑さの中での南三陸町、次の一週間は台風の影響による大雨と晩秋を体感する寒さの中、石巻での作業活動となりました。とりわけ時差による体調変化とも苦闘しながら取り組みでした。それでも次につながる働きになったことに感謝しています。

次の活動の主なものとして、「山形芋煮」を囲んで、これまで取り組まれた方々と感謝の時と、そして将来を見通す希望につながるような交流を企画していこう考えています。

当面確定した日程では10月5日(水)お昼を中心に、中瀬町地区の仮設住宅、その集会場で行います。翌日6日(木)は大上坊契約生活センターで、やはりお昼を中心に計画しています。イザヤ58ネットの皆さんの協力を得る予定です。

中瀬町地区は、この地区に住む住民皆さんが、自らの土地を提供し、住民がまとまって入居された方々で話題になりました。その他、入谷とか志津川高校にも避難された方々はいます。私たちは支援先で出会った方々を介して声がけをいただきました。

23日(金)にはこの地区の区長さんともじっくり話し合うことができました。特に「支援の在り方」に関する考えを聞くことができ、今後の取り組みについて、考えさせられることが多くありました。いかに被災された方々が自活、自立の道を見出していけるか、それを実現するための支援活動を実現できるかどうかです。それにしても、全くの素人である私どもの働きを受け入れていただき感謝しています。

なぜこうした取り組みを行うのかと、一つは住民の方々の要望があります。応えるべきだと受けとめる間はできうる限りのことをしていきたいと考えています。何よりも、住民の方々が安心して心開ける関係が大切であることを受けとめました。

翌日の大上坊はその隣の米広と一緒ですが、ここも支援先での人との関係から紹介され、交流が続いています。まさにこの地区の人たちは支援する側に立って、多くの犠牲を払われた方々です。こうした方々に対する支援はほとんどありませんでした。直接被災された方々よりは回復が早いと思われますが、しかし、その労苦に報いることは大切だと思っています。こここそ、「感謝の芋煮会」になります。同時にここには高齢者が多くいます。今回の大震災を期にこうした高齢者に対する配慮が十分でなくなっています。余裕がないと状況を理解できないわけではありません。しかし、高齢者が邪魔者扱いにだけはなっていただきたくないのです。

高齢者の方々に対する配慮については、仮設住宅にも共通の課題があります。これまでの労苦を考えると申し訳ない思いになります。すでにデイサービスの活動も始まっていますが、こうした働きを邪魔することなく、むしろ相乗効果を高めるような取り組みができればと思います。今後の支援継続を考えるときに、高齢者に対する支援は考慮すべき一つの大切な課題と考えています。

2011/09/18

支援の先に

オレゴンからのボランティアチームが、一週目、南三陸町の図書館再開に向けた奉仕に専念し、何とか全うすることができました。寄贈された書物の仕分け、新しい図書のカバーかけ、登録された図書の展示作業などなど、根気の要する仕事でした。しかし、チーム全員がとにかく熱心に働く人たちで本当に感謝しています。何となくボランティア活動に参加した、ということに終わらない、一定の働きを成し遂げることを願いました。一週間、取り組めば、ある程度の成果が見える活動になるではと期待し、熱心に取り組むことにしました。

職員の人たちとも二日、三日となると自然なかたちで交流は深まるし、仕事ぶりや、不断の言動を通して信頼関係を築き、また「キリストを知る知識のかおり」を放つことになります。図書開設に関わる責任者の方々は避難所での支援活動の時からの関係者で、すでに信頼関係を築いている方々です。今回は、本来の仕事に復帰された彼らに仕えながらの支援となったわけです。

そういう意味では何よりも、しっかりした仕事をすることが確かな支援になるわけです。それだけに限られた時間で、なすべき仕事をしっかり教えていただき、その労に勝る仕事を成し遂げなければという緊張感がありました。とにかく真剣に最善の仕事ができるように一生懸命でした。さほど会話も仕事に関することでなければ広がらなかったのですが、それでも次第に慣れていく中で、会話が生まれます。特に3.11大震災当日のことがなにげなく話題に上りました。

あれから半年もなるというのに、つい最近のように話されます。だいぶ落ち着いた感じでしたが、何か心の整理の中でひっかるものがあるようにも思われました。地震発生後、保育園に子供を迎えに車を走らせていく途中で、避難する年配の方々から、車に乗せて、と何度も請われとそうです。ごめんなさい、子供を迎えに行くので、と断りながら走らせた時の心の葛藤や苦痛はこれまでにない経験であったようです。しかし、避難先でそのお年寄りの方々に再会し、無事であったこと、「誰も恨んでいないよ」との言葉に胸をなでおろしたというのです。生死を分ける緊張感の中での体験、その場に居合わせなければ知り得ない葛藤であったと思います。

そして翌日、チームの一人、日本人女性、エメリー姉妹がその彼女と個人的に福音のことに及ぶ深い対話に導かれたとのことです。そして、自分もクリスチャンとして生きていきたい、イエス様を信じたいと話されたというのです。クリスチャン生活をどうするのか、とまで話しが及んだというのです。

私たちは支援と宣教は一体のものと解しています。しかし支援活動の中、つまり与える側と受ける側、という特殊な心理状況の中では、特に聖霊の働きによって相手からの問いかけが起こることを期待し、また信じて、とにかく誠実に仕えることに徹していこうと心を定め、祈りつつ取り組んでいます。

コロサイ人への手紙の中でパウロは「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」との勧めに注目しています。支援の先に、福音を信じ受け入れ、そして信仰と、生き方が一つになったクリスチャンたちがこの町に起こされ、その彼らを通して支援の輪が広がっていくことを祈り、期待していきたいと願っています。

2011/09/11

変化に対応する

8月後半から、9月第一週にかけて神学校の働き、行事等が続きました。本業をおろそかにしてボランティア活動は成り立たないわけで、当然と言えば当然なのですが、両立の厳しさを覚えるときでもありました。

ちょうどこの時期、8月から9月にかけて、とりわけ南三陸町に限って言えば大きな変化があります。第一次避難所はすべて閉鎖され、被災者のほとんどは仮設住宅に移ったことです。また自主避難者も、私たちが関わってきた地域を見る限り、ほとんど仮設に移ったようです。

共に活動をする中澤牧師と共に南三陸町の仮設住宅のいくつかを訪問させていただきました。また仮設住宅に対する行政の責任者とも面談する機会が与えられました。明確なのは、被災者がいかに自立の生活を取り戻せるかにあります。現実には自立の道のりは容易ではないのですが、しかし、闇雲に物を提供していくだけの支援ではなく、その先を見通した支援の取り組みが必要です。

仮設住宅は町内だけでも50箇所を超えますし、10数戸単位から、200戸を超える大きなところまで多様です。避難所は支援を必要とされる方々の全体が見える訳ですが、仮設ではそうはいきません。それなりの信頼関係を持たないと続けられないだろうし、どう取り組むか知恵を必要としています。

単純には支援物資を持って戸別訪問することも考えられますが、避難所のように同じ手法では効果的な支援は実現できないのではと思います。

これまで関わってきた方々を通して的確な情報を得ながら、対応していくべきでしょう。また行政側にも方針があり、その支援の原則をある程度、共有しながら取り組まないと閉め出されてしまう可能性もあります。やはり、もう少し長い目で着実に取り組んでいきたいと思います。

9月初めに、これまで定期的に協力してくださっている「イザヤ58ネット」の皆さんの協力をいただきながら、在宅避難者の世話をしていた大森地区の皆さんと「お茶の会」を設けました。中心になってくださった佐藤さん宅に、班ごとに連絡係を引き受けてくださった方々に声がけをしていただき、集まっていただきました。

3.11大震災の当日、そしてその後、それぞれが、それぞれの恐怖や苦痛、また悲しみを体験されました。一時間、二時間、途切れることなく話される話しをじっくりと受けとめました。このような繰り返しの中で、心の傷が癒されていくのだろうと思います。未だに、すぐそばの海岸を散歩するのを躊躇し、あえて山の方を歩いている方々もいます。改めて「傾聴」の重要性を覚えました。これもまた大切な支援の一つです。何よりも地元にいる方々が元気になり、そして地元の支援を必要とする人々を支える活動が生まれればと願っています。

引き続いて、今週から、アメリカ、オレゴン州にある日本人教会メンバーを中心としたチームが二週間(9月11~23日)ボランティア活動に取り組みます。南三陸町での図書館再生の活動が予定されています。全国から贈呈された書籍の整理に取り組みます。町の図書館は今回の津波で完全に流され、現在、トレーラーハウスなどを用いて仮設の図書館がオープンし始めています。そして次週は石巻でも作業奉仕をする予定です。その合間に「お茶の会」を行えればと願っています。

2011/08/27

大上坊契約生活センター

毎週、何らかの支援活動で南三陸町を訪問していますが、18日(木)午後の大上坊・米広の皆さんとの交流は心を癒すひとときとなりました。今回はトルコで活動しておられる末冨夫妻の協力を得て、敦子夫人の現代箏曲、琴の演奏を楽しませていただきました。また上山聖書バプテスト教会のメンバーが生産するぶどう園から新鮮で甘いデラウエアーを提供していただきました。なかなか共に集まることもできない皆さん、私たちも含め、互いの信頼関係を深める幸いな機会となりました。

この大上坊は清水浜(しずはま)、その海岸から内陸の米広まで一つの行政区になっています。清水浜周辺は100件を超える家屋が津波に流されされました。亡くなられた方々も40名ほどおり、その多くはまだ見つかっていません。そして内陸部の方々は支援に献身的に取り組まれました。ここ数日で被災された方々の多くは仮設住宅に引っ越しされたようです。ただ、皆さんがばらばらの移動のようで、本当に気の毒な状況です。また、仮設住宅入居に当たったものの、仕事場との関係で距離がありすぎ、入居をためらっている方もいるとのことです。

ここに残っている方々は農業を営む方、漁業の方などですが、漁業の方々は船を失いました。農家の方も田畑が津波の被害を受けて手がつけられない状況にあります。こうした方々は本業ではなく、がれき撤去に従事し、日当を得ています。津波被害を受けなかった方々はかろうじて菊の栽培、農作物の栽培を続けていますが、しかし春先の大切な次期に作付けや、手入れができず、思うような生産ができないとのことです。何よりも、農協の津波被害などで流通経路が絶たれていることです。

一つのアイディアとして、この地の農産物を買い受けて、被災地支援を願う方々に購入していただくことです。支援のもう一つのあり方、次善の策として取り組んでいいのではと考えています。少しでも現金収入が得られるならば、来年の農作業につながりますし、復興支援に寄与することになると思います。こうした取り組み、そう容易なことではないと思いますが、知恵を尽くして実現していきたいと願っています。

末冨夫妻、そのご主人は65歳になってからクリスチャンになられた方です。それまでゼネコンのビジネスマン、国内外駆け巡る技術屋として働いていました。後には自ら設計事務所を開設し、事業を展開していましたが、一つの挫折をきっかけに、先にクリスチャンになっていたご夫人の薦めを通して、とても明快な新生体験をし、クリスチャン人生を送っています。お金と物欲、偽りの人生から180度転回し、真心から夫人を支え、現代箏を通してトルコで、クリスチャンの素晴らしい生き方を紹介しています。

今回、末冨さんの率直な証を通して、皆さんにクリスチャンという存在を紹介することができました。あまり口数の少なかった区長さんもとても喜んでくださり、笑顔で写真に収まりました。再会を願ってお別れしました。

2011/08/19

これからの「南三陸町」

昨日、18日(木)、「南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク」が現地の「ホテル観洋」で開催されました。南三陸町での支援活動、一つの新しい段階、展開に進もうとしています。午後1時からこれまで支援に関わってこられた方々、これから関わろうとされる方々、教会や諸団体が共に集まり、協力の可能性について話し合うことになりました。当初、30名以内と予想していたのですが、なんと60名ほどの方々が集まりました。

これまで関わっている方々の取り組み方は様々でしょう。その方針や理念はそれぞれ異なるものがあります。支援活動は行うが、教会建て上げはしないという団体、自分たちは教会建て上げをしないが、地域教会の働きを支援するという団体、また法人の性格上、教会建て上げに直接関われない団体もあります。逆に何かにつけ、伝道することを優先し、活動していこうというグループ、乱暴な言い方になるかもしれませんが、支援と回心を取引的に取り組んでいこうという方々もいないわけではありません。しかし、これは次第に成り立たなくなるだろうと思います。植民地的宣教は復活させない、日本の文化を尊重し、文化の中で新たな宣教戦略が生み出されることです。

しかし、最初に結論ありきで臨まないということ、これまで南三陸町に関わってきた方々が一同に会し、今後の支援と宣教、その協力のあり方を模索できればとの願いがありました。被災地の状況の変化も、避難所から仮設住宅など、大きく変わりつつあります。合わせて支援の在り方も変化に対応していく必要があります。そういう意味では時宜にかなった会合であったと思います。これからに期待しています。

そうした中で、私たちは宣教の大切さ、教会共同体の建て上げの大切さを明確に意識しつつも、もっと自然発生的に宣教が進むように考えています。見える福音としての支援活動を進める中で、その結果として、主に心を向ける人たちが起こされることです。それは支援だけでなく、福音に生きる、人の生き方にどのように関わるか、人の生き方にいかに聖書の真理を、言葉と行動で教え示していけるかに関わっているように思います。つまり、人道支援を超える支援を具体化する知恵が求められています。

また、宗教団体であるけれども、決して行政側の信を失わない、むしろ行政側との信頼関係による連携を保ちつつ、誠実な支援と自然発生的な宣教の実現を目指すことです。こうした支援のあり方を実践し、キリスト教団体に対する確かな評価や信頼を得ることができるような取り組みになればと思います。教会は地域、町の繁栄に寄与、貢献する存在でありたいのです。是非、それを実証していきたいと願っています。

そういう意味ではかなり長期戦の取り組みを想定する必要があります。同じ思いを共有していただける方々がどれだけネットワークに加わっていただけるか、どのように協力関係を築いていけるか、全く予想がつかないのですが、期待しています。

南三陸町に限らず、私たちがこの町の復興に寄与・貢献できるような仕方で支援と宣教を考えることができればと思います。目先の霊的な成果を記録していくのではなく、もっと大きなスケールで宣教を考えていこうとしています。そう言う意味では、関係者がさらに突っ込んだ意見交換が必要だと考えています。

こうした考えは聖書の意図であり、まず、神が聖別した神の民イスラエルに示し、そして奥義としての教会に継承されています。

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」(エレミヤ29:4~7)

この神様の意図は異国の地で仕えるダニエルの生涯に結実しています。そして、まさにそれは新訳聖書の奥義としての教会の存在に継承されました。

「あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。
これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。
私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。」(テトス3:1、8、14)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」(ⅠペテロⅡ:12~15))

いずれにせよ、支援と宣教に当たって、キリスト教関係者が、現実的にはかなり難しさが伴うだろうと思いますが、しかし、互いに補完し合いながら支援と宣教に取り組むことは大切な視点だと思います。

2011/07/31

大森地区での交流

先週火曜日、7月26日に、以前から約束していた南三陸町大森地区の皆さんとバーベキューを楽しむことができました。

この大森地区の方々との出会い、その支援の始まりは、旭が丘で出会った三浦さんという方の人を思う温かい心がきっかけとなりました。後から聞いたのですが、親戚関係であり、漁師仲間でもあったようです。漁師さんたちはいつも命の危険と背合わせの中で仕事をしているだけに、互いの信頼関係、支え合う心が、言葉を超えた強い絆で結ばれているように思います。

そうして始まった支援活動の中で気になることがありました。とりわけ大森地区の大半は津波によって破壊されています。共に集まるコミュニティセンターもなくなりました。高台で残った方々は家はあるけれども、被災者でもあります。しかし、避難所に行く必要はありません。ある意味でやむを得ない状況であったと思いますが、支援は後回しになりました。それで、いくつかのグループによって支援物資は届いたようですが、しかし、その届いたものは地域住民に等しく渡ったわけでもなかったようです。

皮肉にも不安や窮状の中で受ける救援物資のことが契機となって、地域住民の間に疑心暗鬼が生じ、人間関係の気まずさが後を引いていたのです。この地区のリーダーからも、何度か、住民が以前のように和やかに交流したいものだ、との話しを聞き、一つのきっかけ、もとの信頼関係を取り戻すきっかけになればと願いつつ、今回のバーベキュー企画となったのです。

イザヤ58ネット(福音伝道教団)のボランティアグループがこの週に来ることになっていましたので、皆さんの協力を得て実現することができました。さらに蔵王キリスト教会、カンバーランド長老教会、いこいの汀教会、宇都宮聖書バプテスト教会の皆さんの協力と支援を得ました。

何より、天の父なる神様への感謝の祈りを持って始められたことに感謝しています。また神様の摂理によって、大森地区の皆さんと共に、親しく会食できる機会を与えられ感謝しています。巨大地震と共に起こった、とてもつもない津波によって、一瞬にして、この惨状となりました。この住民のほとんどの方々の中に、家族、兄弟姉妹、親族、親しい友人や知人、多くの愛する方々の命が犠牲になった方をかかえています。私たち、心を合わせて、関係する方々のために慰めと癒しを祈りたいと思います。

そして、私たちはこのように生かされています。改めて、与えられた命、生かされている命であることを実感しています。共に支え合い、共に分かち合い、また励まし合って町の復興に尽くすことができればと思います。そのための知恵が必要です。実行する力も必要です。何よりも前に向かって踏み出す信頼の絆を強められることです。

直接の被災者でなかった私たちも、一人の隣人として取り組み、支援の先の復興を見届けたい、何よりも神様の御業に関わりたいと願わされています。

2011/07/19

南三陸町大上坊・米広、歌津町升沢地区

大森地区での支援活動の中で、中心となっている佐藤さんから、新たな地区、米広と大上坊、歌津町の升沢地区に住む方々を紹介されました。米広は内陸部に位置し、数軒ですが45号線まで広がる大上坊と一つの行政区になっています。大上坊は津波によって大半が破壊されています。升沢は45号線沿いで田の浦と伊里前湾の間に位置する地区で、どちらも直接的は津波被害を免れた地域です。

米広、大上坊
米広、大上坊は農業、漁業を営む人たちで現在は世帯数も20世帯足らずの集落です。大上坊はかなり被害は大きく、がれきと化した家、半壊した家など、空き家になっている家が目立ちます。現在避難している家族を入れると28家族、約73人ほどです。3.11の大震災の時には、入谷地区と同様、自分たちの持てるもの、特に米を拠出し、炊き出しのために大いに貢献しました。そして、津波被害を受けた方々を迎え入れたのです。またそれができた地区でもあります。しかし、いつまでも続くわけではなく、自主避難してきた方々がそれぞれの避難先に移動していくに従って、自分たちの日常生活の必要まで逼迫していることに気づいたのです。もちろんこうした地区には支援物資などはほとんどありませんでした。最近は食料等の支援があると聞いています。

歌津町升沢
また、升沢地区に住む方をも紹介され訪問しました。やはりここも同様でした。この地区は三方海に囲まれて、高台に位置することで津波被害はありませんでした。すぐ近くには避難所にもなっている平成の森のキャンプ場の施設があります。升沢は20世帯で80人ほどいます。道路を挟んで向かい側に比較的新しい団地があり、40軒ほどです。

家が残ったので、特に升沢地区にはやはり周辺の被災者、家族関係の方々が大勢避難してきました。話しを聞けば、下着の果てまで、あるものはなんでも被災者のために提供したとのこと。それで家のお年寄りはちぐはぐのものを着ているというのです。その地区の中心になる方は漁をしておられます。しかし、自分たちの浜に停泊していた船はほとんど失ってしまったそうです。今は日当をいただき、がれき処理に励んでいます。

家がある、しかし、被災者である。家があるだけに、支援者となって提供はしたものの、支援は全くないのです。それでも道すがら支援に来てくださった方があったようで、本当に助かったという。やはり、教会関係者が目立ったようで「私たちもキリストさんに助けられました。」との表現に驚きました。しかし、その後、特に支援はないというです。会って、話しを聞いてみなければ、外見的には支援を必要としている方々であることは分かりません。

さっそく両地区に、私どもに提供された生活用品、食料等、また夏物衣料を中心に三度ほど訪ねました。そこに集まる人たちの中には避難所からの人もおりました。また避難されている被災者もいます。両地区共、もう少しその地区の皆さんと交わりながら、実情を把握していく必要があります。支援物資が続く限りですが、何回か訪問したいと願っています。

特に、南三陸町は7月から水道の状態はとても良くなり、飲料に許可が出たようです。しかし、升沢地区はまだ飲料には適さないとのことです。ですから、この地区では、飲料水は貴重な支援物資です。

支援の先に
「受けるよりも、与える方が幸いです」との主イエス様の教えがあるように、真心からの支援と併せて、聖書の原則に基づいた人の生き方について分かち合えるように取り組むことができたらと願っています。

今週は明日、米広を訪問します。そして次週25日から28日まで「イザヤ58ネット」の皆さんがボランティア活動に参加されます。特に大森地区でバーベキューをしながら、地域の皆さんとの交流を深め、また地域の皆さん方も心の励みになるように、さらに信頼関係の深まる地域共同体となる一助になればと願っています。神様の働きに期待を込めて、

2011/07/07

石巻のために

「災害復興支援SBSネットワーク」が取り組むボランティア活動のもう一つの働き、石巻での支援活動があります。多くのボランティアを送れずにいますが、是非この地での活動のために祈りに覚えていただきたいのです。機会があれば実際にボランティア活動に加わっていただければと思います。

出発点は「祈りの家キリスト教会」(代表:阿部一)からでした。「祈りの家」は水明地区にあります。ここは津波の影響のないところとされていたそうですが、今回の大震災、その津波による被災を逃れることはできませんでした。ライフラインが回復するに従って、避難されていた阿部さんたちは不自由な中でも自宅に戻り、地域の方々への支援活動が始まり、今日に至っています。

そしてその支援活動の広がりとして、この石巻で津波被害を受けた住宅の修復のために、ヘドロかき出しや補修、地区周辺の清掃等があります。この働きのためにもう一人のリーダーシップを持ち取り組む方がいます。日本ルーテル同胞教団の宣教師、D.ベンソン宣教師です。

当初、本校に集まったクラッシュジャパンの一員として取り組んでいましたが、現在はフリーになって、サマリタンパースを中心に、いろいろな方々、国内外の諸教会からのボランティアグループ、団体と協力しながら活動の輪を広げています。

ベンソン宣教師が石巻に関わるようになるきっかけ、接点は「祈りの家」にありました。ルーテル同胞教団のメンバーである一人の姉妹が仕事上の関係で石巻に来られ、阿部さんたちのグループで信仰が育まれていたのです。そのような友好関係もあり、ベンソン宣教師は、ここ石巻での活動、「祈り家」支援を中心に取り組む決断をされました。そしてその活動を着実に広げてきたのです。

これまでサマリタンパースをはじめ、各団体、諸教会、国内外からの大勢のボランティアが支援活動に参加しています。災害時における教会のボランティア活動のあり方における一つ範例になっています。

今週はSBSネットワークの関係で、アメリから修復活動の次の段階に進めるために、建築に技能を持つ者が技術支援としてやってきました。当初はグループで参加する予定でしたが、結果的に一人となりました。リーダーのベンソン宣教師の片腕として、限られた日数でしたが支援活動に従事し、今日、その一区切りとなります。一昨日は指を怪我をして帰ってきたので、破傷風感染のことでちょっと心配しましたが、彼は何年か前に予防接種を受けているので大丈夫だというのです。

何より、この石巻での活動の素晴らしさは現地の人が中心となり、被災者の思いを大切に、一歩、一歩、丁寧に修復に励んでいることです。ボランティアの自己満足ではなく、被災者の満足を、量的な記録ではなく、質的な評価に耐える活動を、何より、聖書規範に基づく、価値観の共有と、信頼関係を築く取り組みをしておられることです。

現在は石巻港の西、新館という地域がその活動の場になっています。その誠実な取り組みのゆえに、人から人へと伝わり、活動の場が広がっています。何よりも地域の方々との信頼関係が深まり、神の民としての教会、またクリスチャンたちに対する信頼度が高まっていることです。必ず神の良き業がなされるに違いと期待しています。

教会が、クリスチャンたちが他日に備える意味でも、この地での取り組みは意味のある体験になると思います。ボランティアの一つに加えていただければと思います。また中心になって働いている現地の阿部さんや、ベンソン宣教師のリーダーシップのために祈っていただければと思います。

なお、石巻には多くの諸教会、団体が教会開拓を願って励んでいます。聞いているだけでも長老系の教会、バプテスト、キリストの教会、JECAの教会等々様々です。多くの人材、十分な資金を持って取り組んでいるグループもあります。願わくば、諸教会、教団教派が協力して取り組めたらと思います。これも大きな祈りの課題です。

2011/07/02

聖書の原則に基づく支援

南三陸町では特に支援の届かないところに支援をと願いつつ活動しています。旭が丘から入谷、大森と支援関係は広がっています。

来週には大森で知り得た米広という内陸部の集落を訪問する予定です。ここは海岸から離れ、山間の集落で、どちらかと言えば当初から支援に動いた地域のようです。食料は何とか確保できているようですが、日常的な生活用品の必要を訴えておりました。この地区の世帯数、近隣を含めて18世帯と、さほど大きな集落ではありません。

町自体が機能回復していないこともあり、全域に言えることですが、日常的な生活用品を手に入れることに窮しているようです。実際にこの地域の人たちに会って、その必要とする支援の実態を把握したいと思います。

同様に、歌津のある地域もその必要を訴えています。この地域も津波被害の大きな場所です。その地域で直接の被害を免れた集落の方々が、同様に日常生活用品の必要があり、できれば支援に来て欲しいとのことです。同じく、次週末に基本的な物を用意して、その支援の必要について情報を得たいと願っています。

また、旭が丘、入谷地区、大森地区もそうですが、そこの住民には被災した家族や親族の方々が身を寄せています。避難所でない被災者避難の方々で、やはり支援があれば大きな励みになるでしょう。緊急性というよりも、確かな支援があれば心の安心を得ることができると思います。

そして今後必要なのが仮設住宅に住み始めた方々への支援です。仮設住宅への移動は自立の一歩を踏み出すことですが、しかし仕事がない、収入の見通しが立たない方々にとっては、不安な思いで仮設に引っ越しする方は少なくありません。避難所で会った方の中には是非、仮設の方にも来て欲しいと懇願する方がおりました。

私たちが注意深く取り組んでいる課題は、支援活動が単に物を運ぶ、提供するだけの活動にならないように心がけることです。それが潤沢であればあるほど、地域住民の人間関係を壊してしまうケースがあるということを何度か聞いています。そのためには、その地域の方々と十分話し合うこと、同時に聖書の原則に基づく支援が実現するように知恵を尽くすことだと思います。中には聖書の愛とか憐れみの行為を勘違いしているボランティアチームがあるようです。

活動に当たっては、今は支援を受ける必要がありますが、しかし、やがて「受けるよりは与える方が幸いである」との聖書の教えの実現を目指すことです。ですから物資の支援と共に聖書の教えを紹介しながら取り組んでいます。そして福音に基づく新しい人生を始め、支援を受ける側から支援する人へと発展していくことが私たちの支援活動の目標です。こうした私たちの思いを受けとめてくださった方々が、自分たちが受けるだけでなく、支援を必要としている方々についての情報を与えてくださっているように思います。

2011/06/23

大森地区支援

南三陸町の避難所におられる被災者支援の必要から、旭が丘団地、入谷地区へ、そして大森地区へと支援地域は広がってきました。また避難所から仮設に移られる方々への支援も考えなければならない状況です。同時にそれぞれに克服しなければならない課題があります。

ここ大森地区は海岸に面している集落で二つの行政区によって構成されています。百数十戸あった一区はわずか二軒だけを残してすべて津波に流されてしまいました。二区は少し高台にあるため約80世帯が残っています。それぞれが家族の誰かが犠牲になっているようです。しかもこの地には、支援が全然なかったというわけではないようですが、旭が丘のような継続的な支援はありません。少なくともここ二ヶ月はないというのです。

20日(月)にお米を主とした支援物資が与えられたこともあり、早速、大森地区に出かけました。支援に協力しましょうと約束していたのが先週初めですので、もし本当に支援の必要があれば待たされている気持ちが強いのではと思いました。案の定、行って見て、本当に必要としていることがよく分かりました。約束時間の午後3時頃でしたが、すでに多く方々が待ち構えておりました。

自立を妨げるような支援であってはならないと考えていますが、現状を見る限り、気持ちが折れないように、まさに前に向かって一歩、二歩と踏み出せるような支援が必要であると思います。

課題があります。この地のコミュニティーセンター(公民館)は流されてありません。ですから地域住民が集まる場所がないのです。幸い、支援活動に積極的な住民の方がご自分の住宅を開放し、またその庭先の使用を申し出られました。できれば仮設の施設が置かれ、支援センターが設置されるなら、いろいろな可能性が生まれます。私たちがボランティアチームが主導的に行えば、様々な支援活動が実現できるのではと考えています。状況を見ながら検討していきたいと思います。

もう一つの課題は、やはりここでも平等の分配原理の壁があります。物資を世帯毎に平等に分配する、一つの手法ですが、どうしても世帯毎の構成人数を考えると不平等になってしまいます。二人の世帯と5人の世帯に、世帯毎にと卵二つづつではやはり不公平になります。正しい情報と信頼関係があれば、人数毎に応じた分配が実現できると期待しています。そのような支援を実現したいと思います。聖書の教えを共有しながら、みんなで支え合う共同体になることを祈り願っています。

可能性を覚えたことの一つに積極的に任意の責任体制を作っていたことです。町内会の仕組みでなく、支援を円滑にしていくために、地域の方々が自主的に責任を担っていることです。この地への支援はもともと思いやりのある一人の男性の取り次ぎによるものでありました。ですから、この思いやりの心を大切にして、ここから、この地区の人々と共にさらに助けを必要としている方々に、人から人へと支援の輪が広がっていくことです。

明日、24日(金)に「イザヤ58ネット」(福音伝道教団)の諸教会が南三陸町のために支援物資を運んくださる予定です。大森地区の皆さんは期待して待っているようです。新たな展開になることを期待しながら取り組みたいと思います。

2011/06/19

より必要とする方々へ

ちょうど一ヶ月前に旭が丘に避難されている被災者の方々へ支援の必要を知らされました。地区の責任者の話ですと、行政ルートの支援は6月をピークに次第に細くなるだろうということです。コミュニティーセンターに避難している方々は、当初は横になって休めないほどの大勢の方々がおられたようです。現在はさほど多くありません。むしろ団地住民の方々にお世話になっている被災者の方々が約40世帯ほどおられるとのこと、また、家は大丈夫でも職を失った方々もいるということでした。この方々への支援の必要を覚えたわけです。

一つの壁、「公平」という分配の壁
町内は13班ほどの組によって構成されているわけですが、支援物資は直接の被災者も間接的な方も、この住民に公平に分けようという仕組みです。例えばペットボトルの飲料水であれば人数分が集まるまで集積し、数が揃ったところで各班に分配するわけです。あるいは各班で分け合えるようなものは各班世帯数に応じた数に分けます。世帯毎になると、世帯を構成する人数は考慮されず、二人の世帯も4人の世帯も同数の分配となりますので、最終的にはどうしても公平さの矛盾が生じてしまします。現在も、毎日のように夕方4時頃から救援物資の分配がなされています。

私たちがこの方式に応えるだけですと、ただ物資を運ぶだけになるばかりか、被災した方々との関係はほとんどない支援になってしまいます。必要な方に必要なものを提供したい、そして被災した方々と心が響き合う支援を望んでいます。何回かの話し合いをし、結果的にはこちらの押しつけのようになりましたが、支援物資を手渡す場所、公園や空き地の使用を許していただく寛大な対応をいただきました。私たち自身が支援できる機会を与えられ感謝しています。当初は本当に支援を必要としている方々の情報を得るための支援物資の提供でした。ちょうどタイミングよく「イザヤ58ネット」のボランティアチームが協力してくださることになっていましたので時宜を得た取り組みでした。

そうこしているうちに旭が丘の状況がメディアでも何度か取り上げられ、全国から旭が丘に直接に支援物資が届くようになりました。その様子を見たとき、メディアの力の大きさを感じると共に、自分たちの取り組みを進めるために、さらに知恵深い手法の必要を考えさせられました。

開かれた門
同時に、ここでの取り組みの中で出会った方々と交わされる対話は貴重な情報源になりました。先に紹介したもう少し内陸部の入谷地区への避難状況、さらには海岸線にある集落、大森地区住民への支援の必要などです。主が開いてくださった門と信じてそれぞれに訪問しました。

先週は入谷小学校に避難されている方々の必要に応じて二度訪問しました。最初は「イザヤ58ネット」のチーム(13名)と共に79人分のタオルケットを届け、皆さんと対話することができました。そして金曜日に思いがけず届いた生鮮野菜、果物を提供しました。ここでも公平の分配が働いています。個々人の必要をどのように得られるか大きな課題です。

今週は大森地区の状況をさらに知るために支援物資と共に訪問しようと計画しています。

2011/06/14

復興に至る支援

南三陸町における今後の支援の在り方を探り、情報を得るためにボランティアチームと活動をしていたときに、そこで出会った一人の男性との話しに心が動きました。支援はありがたいが、しかし、自分たちもできることを取り組まなければならない、いつまでも支援に頼っているようではだめだと思っている、ということでした。ただで受けられるものはとにかく貰っておこうという者もいて自宅に支援物資を山のように集めている、善意の支援が人間をだめにしているというのです。

地域の責任者の言葉を借りれば中には「欲得」で支援物資に集まる者もいるということです。こうした話しは南三陸町に限りません。被災の程度によるのかもしれませんが、支援する側もただ物を提供するという手法が逆効果、人間性をいっそうゆがめてしまい、地域の人間関係まで壊れるようなこともあるという現実を見せられた思いです。

そうした話題の中で、その男性が世話になっている地域のことを話されました。南三陸町の浜地区から内陸に位置する入谷地区です。この地区の人たちは3.11後、自分たちが持っている米を拠出し合って、避難された方々にいち早くおにぎりを提供されました。互いに助け合う素晴らしい取り組みであったというのです。

私たちも単に物を運ぶ救援ではなく、本当に必要としている方々に必要なものを手渡せたることを願って取り組んでいます。このような取り組みを見て、そうであれば是非、入谷地区にも行って見て欲しい、公民館館長を紹介するので一度、訪ねてみて欲しいと言われました。入谷地区はいつも通りすがりで、一見、平穏そのものです。この地区にある小学校に避難されている方々のために炊き出しがなされていることは聞いておりました。

早速、13日(月)に公民館を訪問し、館長さんに面会することができました。ここは浜地区からはだいぶ離れているので、ここに避難されている方々は車で避難できた人たちで、そのまま避難所(小学校)に留まっているとのことです。確かにこの地区は、3.11当日、歩いて避難できる場所ではないようです。高台にある小学校が避難所になっています。ここには現在でも子供8名を含む約80名ほどの方々が避難生活をしています。その校庭には仮設住宅が建てられていました。そしてこの入谷地区には292人の方々がこの地区の住民、身内などに避難されているとのことです。

基本的には自立の方向にしっかりと動き出していることが見て取れました。「グリーンウェーブ入谷構想促進委員会」が建て上げられ、「事業開発部」を設け、1,「被災者ふれあい農園及び農産加工事業」2,「避難所内職センター推進事業」3,「被災地便利屋さん推進事業」を展開しようとしていることの説明を受けました。つまり、受ける支援から自立へ、被災し職を失った人たちのために雇用を生み出し、人の人たる本質的なもの、労働することを実現しようという取り組みです。

館長さんの言葉が重く響きました。大震災のあった一ヶ月くらいは本当に助け合う人間の素晴らしさ、その美しさを見ました。しかし、その後、多くの支援、様々な支援がなされるようになって、むしろ人間関係に齟齬が生じてしまった。また、地域共同体のエゴ、地域根性の出て、南三陸町という一体感を崩すようなことが起こっているというのです。

私たちもこの入谷地区のような確かな災害復興の主体的な取り組みにつながる支援でなければならないと思います。聖書の規範でもある額に汗して働くことの大切さ、家族の建て上げや支援、そしてその地域の繁栄に貢献できることです。まさに福音をしっかり受けとめた教会の本来の在り方であったと思います。

一面的なことで軽々に判断することを注意しなければなりませんが、物を運ぶ、提供するだけ、一時の必要のために「炊き出し」をするだけのことであったり、またいわゆる「宗教的」な集まりをする、集まっていることだけしか支援のゴールが見えないとしたら、いずれまた限界に突き当たってしまうだろうと思います。

それだけに、支援をどう展開し、継続していけるのか知恵が求められます。また、私たちの限界も自覚しています。それだけに本当に理念を共有できる方々と共に連携し合いながら取り組まなければならないだろうと思います。

2011/06/09

新たなプロジェクト2

新たな情報を得て:

最近、取り組み始めた南三陸町の新しいプロジェクトについて、新たな情報を得て再考すべき課題が生じました。先週、訪問したときに得た要請に基づき、昨日8日(水)に津波被災した方々のためにズボンと下着を届けようと訪問しました。ところが情報に正確性を欠いたこともあり、被災した婦人たちだけでなく、その周辺の婦人たちまで、総勢50名ほど集まっていました。

幸い、地元の婦人で、リーダー的存在のFさんの機転と協力で、被災した方々とそうでいない方々に分けていただき、混乱なく対応することができました。今回は集まった方々に各種、各サイズのズボンを見ていただき、必要としている方々に記名していただくことにしました。一人だけの場合はそのまま渡し、複数の方々のために、数名の場合だけに限って、互いに譲り合って受け取っていただき、そして記名していただいた方々のためには次回、お渡しすることを約束しました。下着や肌着類は津波被災の方々にすべてお渡しすることができました。前回の訪問の時に泥水のシミの付いた肌着を見せていただいたとき、その必要性を実感していたのです。

生活状況の変化の中での被災者優先の支援活動:
今回、ここ旭が丘には水道が回復したと聞き、一応、ライフラインは回復したことになります。しかし、水道は塩分や砂が混じっていて飲み水には不適当のようです。そして、宅急便が動いていますし、生協の家庭班とか商品配送サービスが可能のようです。ですから、経済的にゆとりのある方々は、ある程度の生活は維持できるということです。

この旭が丘は避難している被災者(40世帯)と被災者ではない住民(160世帯)、その中には被災者を受け入れている方々がいて、被災者と被災を免れた方々と共に住む特異な場所です。今回集まった人々の動向を見て、この旭が丘における支援活動は、優先順位として、まず被災した方々を対象にすべきだということがよく分かりました。しかし、仮に家屋の被害は全くなかったとは言え、今回の震災で職を失った方々もおられるようです。ですから単純に家を流された人、そうでいない人と分けてしまうことの困難さもあります。それだけに、今後も支援を続けるとしたら、よりいっそう知恵深い手法が求められます。私たちは単に欲しい物資を闇雲に渡してしまうという支援ではありませんので、よりいっそう正確な情報を得る取り組みの必要を覚えております。

支え合う共同体:
今回の衣料品の提供において、おそらく直接の被災者ではない方だろうと思いますが、多少でも代金を払ってでもいいので、衣料品を分けて欲しいと申出られた方がいます。理由は近くに店がなく、買いたくても手に入れられないというわけです。ならば、私たちは商売人ではなく、本当に困窮している人たちを支援することが目的ですので、先ほどのような方々に必要な物は提供するが同時に、支援金として自由に寄付していただき、それらを必要している方々への資金にすることも一つの方法ではないかと考えています。

日が経つにつれ、被災された方々は順次、仮設住宅に移っていくだろうと思われます。数日に前にニュースでも取り上げられていましたが、南三陸町では仮設住宅への入居が決まっても、その70パーセントの方々が実際には入居していないことが問題になりました。その理由は自立に対する不安があることです。つまり、避難所から出ることで救援物資は得られなくなり、自分で調達するのは困難であるとか、収入がないとか、水道がまだ回復していない、また車がなく行動できないといった理由があげられています。いずれにせよ、ここでつながった隣人には、仮に仮設住宅に移ったとしても不安がないように、自ら前に一歩踏み出せるような支援を実現することができたらと考えています。具体的にそれをどう実現するか新たな課題です。

今後の支援の方針を定めるために、明日10日(金)、次週14日(火)~15日(水)にボランティアチームと共に訪問し、本当に必要としている方々の情報を得るように、また地域の皆さんにも協力を得られるように取り組みたいと願っています。

2011/06/07

隣人になろう!

今週から本格的に始まろうとしている支援プロジェクトについて、どのような考えで取り組もうとしているのかをお伝えしたいと思います。当面は共通して必要と思われる生活支援物資を準備し、提供しながら、個々の必要に関する確かな情報を得ることです。その上で、できる限り、その必要に応えられるようにしていきたいと願っています。その支援についても、単に物だけでない支援を実現できるなら幸いです。例えば、子供たちへの教育支援等々です。

私たちが単独でできる支援はごく一部です。こうした働きのために、多くの諸教会、兄弟姉妹、クリスチャン団体にの協力によって成り立っています。

--------------準備するチラシ-------------------------   

隣人からの贈りもの

私たちの取り組み: 私たちは隣人の一人として、本当に支援を必要としている方々の必要に応えようと、志を一つにするクリスチャン家族の方々と協力して仕えています。そして提供される支援物資は国内外から、同じように地球村の隣人として、この緊急時に自分たちの必要を押さえてでも、今必要としている方々に最善のものを献げようという教会家族の方々から贈られるものです。

そこで私たちの思いを実現するために、まず、本当に必要としているものが何であるかを正確に知りたいと思っています。私たちのできることは限られるかもしれませんが、是非遠慮なく必要を教えてくださればと思います。

私たちの目指すゴール: 
※ 皆さんが一歩でも、いや半歩でも前に進むことができるお手伝いをすること。
※ 皆さんが同じ被災者として、お互い支援し、支え合う真の隣人として活動を共有できるようになっていただけること。

災害復興支援SBSネットワーク

-------------------------------- 切り取り線 --------------------------------

支援物資の必要について: 今、もっとも必要としているものは何ですか。
1.
2.
3.
(支援物資以外の支援について)


支援を希望するあなたのお名前: 次回お渡しする時に確実に手渡せるために、お互いを確認し合える愛称を記してください。(例:「2丁目の森のカエル」さん。もちろん実名も可。)


被災状況: 差し支えない限りで結構です。今後の支援をしていく上での参考とさせていただければと思います。

2011/05/27

南三陸町での新たな支援プロジェクト

大小にかかわらず、どの被災地も津波被害から免れた家、集落があります。こうした所は一見、特に支援を必要としていないように思われがちです。しかし、実態はそうではなく、むしろ支援を必要としています。場所によって支援から外れている場合があります。家が流されたりしていないので、当面の生活、衣食住の衣と住は何とかなりますが、命をつなぐ食の必要、その支援は必要です。ある程度継続的な支援が実現できるように取り組まなければならない場所もあります。

避難所生活か自宅避難生活かの際立つ問題は、避難所でないだけで支援を受けることに対する遠慮もあるでしょうし、逆に不満も増幅しかねません。また避難所の人たちには家のある方々に対するある種のうらやむ思い、自分が聞いている限り、ほとんどないように思いますが、生じないとも限りません。そこに両者の葛藤が起こることもあるでしょう。

それで現在、なんとしても実現していきたい支援の地域として、南三陸町の高台にある旭が丘です。その地域は現在約160世帯、600人ほどの人たちが住んでおられる団地です。住人の多くは、公務員は別として、職を失い、収入源を絶たれています。ここに住む限り、ある程度の生活再建の見通しが立つまで支援を必要としています。

しかも、ここには親戚関係を中心に、津波で何もかも流された家族が身を寄せています。さほど大きくないコミュニティーセンターにも避難生活をしておられる方々がいます。区長さんの話ですと全体として約50世帯、140人ほどいるとのことです。こうした方々は何もかも失ったわけですので、不断の生活を取り戻すために多くの生活物資の提供を必要としています。物以上にこうした方々に心を寄せる隣人の存在は励みになると思います。

もちろん、行政のルートで支援は続いていますが、必ずしも十分ではないようです。これからの新たな支援プロジェクトによって、何とか安心感を取り戻し、自分たちの生活再建に向けて一歩でも、半歩でも前に踏み出させるようにな状況に到達することができればと願っています。是非ともこの支援プロジェクトを実現できるように祈り、協力をいただければこの上ない喜びです。すでに区長さんとも直接お会いし、こちらの支援の意向を受け入れていただきました。私たちが隣人となって、ここに住む方々の支えになればと願っています。

是非、心に留めていただき祈っていただきたいのです。どのような支援の方式が良いのか知恵を必要としています。皆さんからの知恵をも期待したいと思います。なお、南三陸町の多くは水道はいまだ回復していません。電気も一部を除いて大部分は停電中です。

現在、企画思案中の支援:
当面は、被災した方々の実態とその人たちの本当の必要は何か、その情報を得られる取り組みを主として考えています。
(1)全住民を対象とした支援
(2)避難してきた方々を特定した生活物資の支援、
(3)子供たち(小学生30名ほど)、なた中学生、高校生を対象とした支援、
それぞれに交流の場を設け、心と心の触れあう工夫をしながら進めていきたいと思います。また一箇所で行うか、あるいは複数箇所に分けて行うか検討中です。

これらを実現させるために必要なもの、
(1)まとまった支援物資が継続的に確保できること、
(2)理念、趣旨をある程度共有できるまとまったボランティアチームの協力があることです。

これらの取り組みは単に物資を提供するだけでなく、人々とのより深い交流ができ、真の愛が愛を生み出していくような取り組みでありたいのです。そしてやがて「受けるよりも、与える幸い」を実現できる愛の共同体になることです。つまり支援を受ける立場から、支援をする立場に変えられるように取り組みたいと思います。さらに自然な形で、教会共同体、神の家族の素晴らしさに興味を持っていただけるような愛の業となるようにと祈り、願っています。

2011/05/21

求められるボランティア

被災地におけるボランティアの活動はとても大切な役割を担っています。しかし、被災地での必要に応えようとしているボランティアであるのかどうかと考えると必ずしも調和しない場合があります。きわめて特殊な事例で、一般化するつもりはありませんが、実際、葛藤した体験、今後は決してあってはならない一つの事例として記録しておこうと思います。そもそもこちらの思い込みが問題の始まりであったわけですが。

海外から11名ほどのグループが仙台に来ました。その窓口になった方は自分もよく知っている方で信頼関係から安心しておりました。それでも3.11の一、二週間であったら断ったであろうグループですが、二ヶ月も過ぎれば対応でききると考えました。しかし現実は失望感、葛藤、内心怒りすら禁じ得なかったのです。とは言え、これは100%、迎える側の責任であることを自覚しています。

問題の一、最後まで参加者の名簿、誰が、どのような方が来るのかが分からなかったことです。若い方なのか、ひょっとしたら年配の方で、動くには制約のある方なのか、男女の構成はどうなっているか分かりません。何よりもこちらの方針が十分に伝わっているのだろうか。ボランティア活動の基本的な了解事項を全員が納得してくる方々であるのか、結局最後まで分かりませんでいた。ただ分かっていたのは「何でもする、土方でも、どんな作業でもやります」との先方の言葉です。

ここ神学校は比較的宿泊しやすい環境であると思います。とりわけこのような震災の中でボランティア志願者の方々を迎える施設としては恵まれている方かもしれません。初期の段階で来られたボランティアの方々は「いや、ここはヒルトンですよ」と冗談交じりに話していたのを思い出します。その方々は本当にボランティアとして自己完結のできた方々で、その後につながる大切な働きをなされたと思っています。

ところが、今回、到着して早々、こんな部屋では泊まれないと言う。挙げ句の果てに帰るとまで言い出してしまった。確かに年配者で、さほど機敏に動ける方ではなさそうです。無理強いするつもりはありません。もちろん、ボランティアだから粗末なところでいいとは思いません。できればゆっくり休めて、きちんと食することができ、そしてしっかり仕事ができることだと思います。ただ、もう少し謙虚な対応はできないものかと思いました。これでもはやボランティアとしての条件を満たしていないことがはっきりしました。

結果的には一つのグループが5,6人は十分に宿泊できる部屋をその老夫婦だけで占拠することになってしまったのです。同じ時期に日本人グループのボランティアが来ることになっていたので、そのしわ寄せは彼らが受けることになりました。

この震災時に、助けを必要としている方々は大勢います。このような時に必要なボランティアは本物のクリスチャンであると思います。いわゆる「宗教的クリスチャン」は不要です。むしろ必要なのは福音を見える形で示せるクリスチャンです。

問題の二、ボランティアは現地の活動の方針に添う心備えができているかどうかです。実りのある活動には現場を見て、これまで取り組んで来た方から説明を受けるオリエンテーションは欠かせません。また現地の教会の取り組みを尊重する姿勢はボランティアの基本原則です。自分がしたいことをするのではなく、相手が望むことに応える、仕えることでボランティアの役割を果たせると思います。

活動の初日そのオリエンテーションの時であるとことを示した時に、第二の爆発が起こりました。自分たちは活動に来た、限られた日程であるので、すぐに活動したい、そうでなければ帰るという。こちらは、帰るなら、帰ってもいいと覚悟あるので少しも妥協することはありません。せっかくアメリカから来たのですから、と言う方もありましたが、その発想が問題なのだと突き放しました。

結果的には実際のボランティアに参加するのは男子2名だけ、他のメンバーと婦人たちは、自分たちは祈りのために来たということでオリエンテーションにも参加しません。現地を見るだけでも今後のために益すること多いと思いましたが、残念ながら参加しようとはしませんでした。ただ祈りのためなら、本国にいてもできるし、ただそのために他のボランティアを押しのけて、限られた部屋を専有する必要はないのです。また本当に祈るなら、被災の現場、現地で取り組む教会の働きを知ることは重要であったはずです。

ついに、活動の始まる朝、荷物をまとめて帰って行きました。参加した2名の男子も一日だけの作業で、それなりの働きをされましたが、その日のうちに帰りました。残されたのは無人のレンタカーのみです。

私自身、心を試されています。この震災時におけるボランティア活動、その動機において、一点でも主にかなわぬものがあってはならないわけです。主にあって純粋な動機で取り組みたいと願っています。被災者の方々にとって、真の隣人になれるボランティアを祈り求めながら取り組んでいきたいと願っています。

2011/04/30

何を見、考え、何を目指すのか

巨大地震発生から一ヶ月半が経ちました。しかし、今まさに救援から復興活動へと動き始めたと言えそうです。さらなる創造的取り組みのために知恵を必要としています。

とりわけ、神の民として歩む者として、この支援活動の中で、いったい何を考え、何に関心を持ち、何を見て、何を目指して活動しているのか、自らの心、競争心や自己満足、高名心などを点検し、かつ冷静に観察しながら取り組みたいと心を新たにしています。

今回の災害の規模、広がり、深刻さは計りがたいものがあります。そうした中でのクリスチャン、クリスチャン団体、諸教会の支援活動は着実に広がっています。その取り組みの中で教会家族が新たに生まれるならばと夢見ました。しかし夢は現実に、思いがけない仕方でその方向性が見えてきました。日本アライアンス・ミッションがこの大震災を期に支援活動の延長線上に主の教会共同体を建て上げていく決断をされたとの知らせをいただきました。

クリスチャン人口が少ない中で、また全体から見れば数少ない件数とは言え、教会が津波に飲み込まれ流出してしまうことは大きな出来事でした。改めて教会の存在、しかも単に建物でない、その地域に生きるクリスチャン共同体の大切さを考えさせられています。

このような大震災による惨状の中で何が本当に大切なものか、何がいつまでも残るものかを考えさせられました。しかも教会、クリスチャンの存在そのものが問われました。がれきの中に立てられた十字架はシンボルです。そこに生きるクリスチャンたちがあってこその輝きです。今回の震災は、建物は建っていても、また建てても、教会がないという事態にならないのか、クリスチャンにとって、とてつもなく大きな、かつ大切なことを考えさせられていると思います。

福島原発の災害事故に伴う強制避難とか、自主避難による教会の存続を考えたとき、教会が何であるのか明確になりました。教会はある、しかしそこに集えないのです。誰もが分かっていると思いますが、教会は建物ではありません。建物は一つの手段に過ぎません。

このよう中で黙々と、痛んでいる人々を見つけ出しては援助の手を差し伸べているクリスチャンたち、教会があることを知っています。その取り組みの中でその愛に動かされ、愛の神の真実に生きようとしている方々が起こされていることを聞いています。アメージングネットワークミッションもその働きを実現にしているクリスチャン共同体の一つです。

他にも支援活動する人たち、自分たちのユニフォームを脱ぎ捨て、普段着で主の愛を実現する取り組みをしておられる方々がいます。仮に大きなパラチャーチの支援団体とは言え、多くのクリスチャンや善意ある人たちの捧げものによって成り立っています。ですから、個々人の善意を、善意を持って届けるとしたら、ユニフォームでなく普段着で人々に近づいてこそ、真の支援と言えるでしょう。そしてそのような支援が真の教会共同体と生み出していくと期待します。まさに初代教会はそうでした。教会、真の共同体に注目し、単なるパフォーマンスに陥らないように注意したいと思います。

今、この時に求められるのは、クリスチャンの真実な行動、行為です。今こそ聖書の規範、原則の基づいて行動すべきときでしょう。その時、教会は教会として存続すると思います。そのような主の心を実現する取り組みは、今、求められているように思います。

こうした方々取り組み、決意は、心からの支援、援助の延長線上に神の理想共同体、教会の存在を見据えています。今まさに、必要としている真実の愛の業によって、地域の繁栄に貢献できる生ける教会家族共同体がこの東北の地、あちこちに生み出されることを夢見、祈りたいと思います。

2011/04/25

心のケア 「聞く」

ボランティアにはさまざまな活動がありますが、今回、とても大切な心のケア、真の聞き手になるボランティアについて紹介したいと思います。先週末、南三陸町の避難所、これまでクリスチャンたちが誠実に取り組んでこられ、確かな信頼関係を築いた避難所の一つを訪問すことがきました。参加者は蔵王教会とその近隣の教会の有志たちです。

作業奉仕ではなく、避難しておられる方々と対面し、心のケアに関わるボランティアです。若者たちには子供たちと思い切って遊ぶことを通して実現できればと願ってのことです。ボランティアの一つ、心のケアをどう実現できるのか、研修も兼ねての計画でした。

当日は雨の日であったこと、山形の温泉旅館招きで二泊三日の外出の方々がおられたことで、予定外のこともあったが、それでもゆっくりそれぞれ被災者の方々と交わることができました。

物を提供するとか、支援物資を手渡すということに留まらず、人と人との信頼関係をいかに築けるか、私たちの誠実な思いが相手に伝わり、心の痛みを伝えてくれるか、そして癒され、次につながるステップとなるのか、非常に大きな課題を意識しながらの取り組みでした。そういう意味では互いに心を共有できる参加者であったので、不要な心配をせずに集中できました。

もし、この先に真の神の家族共同体が生まれることを願うのであれば、こうした心のケアを中心とした取り組みがとても重要であるし、しかも継続的に行われる必要があります。それが支援物資を提供する働きでも、がれきの後片付け、泥だし、掃除のボランティア活動であっても、必要な取り組みであると思います。そしてこうしたことに取り組むとができるクリスチャンボランティアチームが与えられることです。

傾聴する、聞くというのは矢継ぎ早に質問し、聞き出すことではありませんし、話しを聞いてはコメントしたり、自説の主張になったりでは、本当に「聞く」ことになりません。いろいろなことを聞きながら想像力を豊かにし聞く必要もあるでしょう。あくまでも聞き手に徹することが大切です。本当に話したいこと、深刻な問題であればあるほど前置きが長くなります。その人にとって大事な問題を話していただくためにはある程度の時間を必要としますし、本当に聞き手になってこそ実現するものであると思います。

とかく牧師は話すこと、説教すること、説明することに長けていますが、真に聞き手に徹するのはかなり難しいものです。ですから、沈黙とか間に絶えられず、ついうっかり聞き手から、話し手に変わってしまいます。聞くというの本当に技量が求められます。

こうしたことで適切なアドバイスや指導してくれる奉仕者が導かれればと願っています。一日、聞くことについての研修やワークショップを行い、現場に赴くことができたらと考えています。

とわ言え、技量以上に、真のクリスチャン、福音理解の明確なクリスチャン、キリストにある新生と、それに続く聖書の教えに基づく新しい生き方について、神様の意図をしっかりと受け止めているクリスチャンであれば、相手に対する愛、思いやり、同情心を持ち合わせているはずですので、全く問題なく、被災者の傍らに座ることができると思っています。

数あるボランティアの中でも、これから益々求められるのが「聞く」ボランティアであると思っています。真の神の共同体が生まれるとしたら避けられない取り組みであると思います。

2011/04/22

今こそ真の教会が

この大震災のただ中にある人たちに対する心からの援助・支援行為の先に真の教会家族の誕生というのは夢物語なのでしょうか。

その真の教会とは制度とか教派の伝統、組織に固められたものでもなく、ただ集会出席だけの教会でもなく、知的な満足だけで、生活の変革につながらない聖書学習会でもなく、また超自然的なこと、特殊な宗教的儀礼にのみ焦点を当てようとする日常的生活から離れた宗教集団でもありません。

そうではなく、家族を建て上げ、額に汗して働き、自らの必要と家族の支え、地域の繁栄に寄与する人たち、 また「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」このようなクリスチャン共同体、しかもその地域の文化の中で神学する共同体が建て上げられるならば、この被災した地域社会に求められる存在、なくてならない共同体と言えるでしょう。

さまざまな支援団体、教会が活動していますが、この大切な視点に注目し、互いに連携しあえたらと思います。

被災地のただ中にある教会の中心的なご夫妻が、地理的にも離れたところで休息しているとお聞きしました。多くの援助グループ、教会、団体が次々と訪れます。訪問される方はそれなりの思いと勢いがあり、支援したいという熱い思いで、しかも自己犠牲を厭わず励んでいます。

一方、迎える側は被災のただ中で、来訪者は嬉しい反面、肉体的にも精神的にも限界に達してしまいます。気づかないうちに疲労が蓄積します。善意は純粋に善意です。同時に受ける側の限度を思いやる必要があると思います。

間もなく大型連休、ゴールデンウイークがやってきます。民間も教会もかなりの数のボランティア志願者数があるのではないでしょうか。昨日の会合で、理想的な形で被災地の地域共同体の中に活躍する教会のリーダーに会いました。この連休は休むことにした、との発言、その思い切った決断に本当に良かったと思いました。

かなりの長期戦が予想されます。地元にある教会は、この被災地の地元に残り続けます。途中で折れてはならないのです。そのために休むことがどうしても必要です。長く続けるには疲労をある程度解消する必要があります。まさに地区教会の主体性があってこそ、援助活動は実を結びます。

こうした救援活動は被災地だけの教会に限らず、全国の諸教会にも問いかけられていると思います。福島の原発関係では着の身着のままで避難した人たちが大多数です。家族が切り離されるような事態にまで発展しています。教会の取り組むべき支援・援助活動はすぐ近くにあるかもしれません。

この災害復興支援のゴールはどこにあるのか、再度確認し、共に励みたいものです。明日も、被災地にいる方々の傍らに座る予定です。

2011/04/18

教会を通してなされる神のみ業

ワールドビジョン、国際飢餓対策機構、クラッシュジャパンにしても、それぞれベースキャンプとなる拠点を各震災地により密着できるように広げ取り組み始めています。それは救済事業の展開としては当を得たことであると言えます。救援物資や人材の派遣ではより効率よく、より迅速に展開できるようになるからです。救援の内容も復興の段階に応じた変化により的確な対応ができることでしょう。

しかし、こうした働きはある程度長期戦の取り組みになるとは言え、それでもやはり、いつかは引き上げる時が来ます。その時にどうなるか。その後どうなるのか。神の国のみ業は着実に継続されるのだろうか。こうした大切な方向性をしっかり見据えたいと思います。

やはり、その救援活動と共に教会があり、広がるベースキャンプの先に教会が存在していないなら、皆無とは言えないまでも、これまでの尊い働きがもったいないし、いわゆるキリスト教的慈善活動に終わってしまいかねないと案じるのは私たちだけではないだろうと思います。

もちろん、災害発生と共に行動した様々な救援活動は、地球よりも重いと言われる一人のいのちをつなぐとても大切な働きをなされたと思います。特に今回は津波の巻き込まれながらも助け出された人たち、ずぶ濡れでも着替えはない、汚れを落とすお湯もない、食べ物も飲み物も何もない中に駆けつけた救援ボランティアの働きは評価してあまりある行動であったと思います。そしてその後も続けられたいのちをつなぐ取り組みによってどれだけの人を勇気づけたか、尊いいのちをつなぐことになったか、まさに愛そのものであったと思います。

そして様々な復興プログラムが進むにつれ、その拠点、ベースキャンプが教会であるか教会と共にあること、さらに支援活動の先に確かな教会があることが理想的であると考えています。いつまでも残るものは神の教会共同体であるからです。

未曾有の大震災に見舞われた日本、世界中の教会が関心を持ち、支援活動がなし続けられています。しかし、このもっとも大切な教会という視点、その理念を明確にして取り組んでいけるかどうか、真剣に考え祈りたいと思います。単に人道的な働きとして記録されるだけの取り組みに終わらないように祈り、知恵を尽くしたいと思います。

2011/04/15

創造的支援

救援物資による支援も教会を拠点にその地域に届けられる仕組みは着実に広がっているように思います。同時に、継続的な支援を考えると、これまでと同様、本当に必要な人に救援物資を届けられるためにはより確かな情報を得る必要があります。それには、自らの足で被災地を歩き、必要を見つけ出すほかはないようです。あるいはそのように動いている方から情報を得ることです。

仮に、今日、明日どうするかの緊急時の中に置かれているときは、なにがしかの救援物資を手渡すことができます。しかし、命をつなぐ支援を受けた方でも、住宅を失った人であったり、あるいは後片付け、掃除をすれば住めるようになる方であれば、かつてのように日常生活を取り戻す、失った生活用品を取り戻すには相当の資金を必要としています。とりわけ自力で自分の生活を再建できる見通しが立つようになる、あるいは再建しようと心が動き出すまで、様々、有効な支援が求められます。

お会いして被災状況を聞くと本当に気の毒です。一人の被災者の情況を聞くだけで、いったい自分たちに何ができるのかと途方に暮れます。仮にこのような大震災でゼロになった方々、また1000万円とか2000万円、何千万の借財が残った人たちであれば、その先に抱える課題の解決策までは見通すことは容易ではありません。何をもっとも必要としていますか、との問いに「お金です」と応えるのは正直なところ、本当であろうと思います。

災害復興支援SBSネットワークを介しても支援金が届けられています。原則に従って速やかに届けるようにしています。もちろんできる範囲は限られています。

そうした中で温泉に招待する取り組みはこの時点で、もっとも喜ばれる取り組みのひとつのようです。この近くの秋保温泉にしても、作並温泉にしても宿泊客の来る前の日中に日帰り温泉を提供しています。それを利用して避難所や被災地の人たちを温泉に送り迎えするボランティアは大いに喜ばれています。すでに何百枚もの入浴券と送り迎えの車を用意してくださった方もいるようで、実際にその取り組みが始まっています。今この時の温泉浴は、損失や負債はなくならないけれど、その課題に向かって生きようとする活力は生まれます。

岩手の教会でも被災地から温泉一泊の支援を始めようとしていることを聞きました。迎える温泉旅館やホテルにも経済的波及効果も生まれるような取り組みをしようとしています。理想的な取り組みです。このために献げてくださる方がいるなら、時宜にかなった支援活動になると思います。

支援活動の現場に立ってみて考えさせられることですが、支援活動は単純ではない、情況を見極め、被災地に置かれた人々を振る立たせていける、より効果的な支援を創造していくことが求められます。

継続的な被災者支援は状況に応じた支援、創造的な支援を生み出すことができるどうかにあるようです。それには現場に立つことです。

主よ、知恵をください。力をください。創造力を与えてください。共に担える働き人、支援者を起こしてください。

2011/04/13

ネットワークの広がり

「東日本大震災救援キリスト者連絡会」が立ち上げられたことの連絡を受けました。支援の一元化ではなく、情報の一元化という点で有効に用いられることを期待しています。

「災害復興支援SBSネットワーク」はとても小さな一歩でしたが少しずつ同じ思いを共有できる方々から連絡をいただくようになりました。決して排除でも、独善的でもなく、ただ主体性もってこの災害復興支援に取り組む、この一事のゆえです。そして教会から教会へ、そしてクリスチャンから隣人へ、地区教会から地域共同体へとつながり、広がる支援を実現しようと願っています。

先回も紹介した「東海福音フェローシップ」(TEF)の「地震対策委員会」と連携し合うことになりました。当面毎週火曜日から金曜日の間、活動は中二日になりますが定期的に来仙する予定です。TEFの皆さんは予測される東海地震に備えての活動です。私たちもTEFの皆さんの取り組みに学ぶことは多いし、期待しています。また教会間の主にある交わりが広がればと思います。

来週にも何人かと今後の活動の可能性について話し合う予定です。一つは「弔いのミニストリー」について重荷を持つ方との情報交換です。すでにこの震災によって亡くなられた方で身元不明の方々のための葬儀が宗派超えて行われていると聞いています。特に日本では亡くなられた方々を丁寧に葬る儀礼はとても大切にする文化を持っています。教会もそうした価値観は共有できるものです。このような時にこそ教会が率先して取り組むべき課題であると思います。ぜひ、この東北の地でも実現して欲しいと願っています。同時にこうしたことに対する重荷を持つ教職者が起こされることを願っています。

さらに秋田では有志の教職者たちが「東日本大災害復興委員会」というNPOを立ち上げました。定款によると「この団体は、次世代社会が創造されるために、東日本大災害の被災者の救済と復興支援をすることを目的とする」とあります。長い目で見据えた復興支援を行おうとしていますので、互いに連携し合っていくことについて情報を交換しています。

それぞれが持っている独自のネットワークの資源や情報を互いに共有し合って、災害復興に取り組むことができれば幸いです。少なくとも自分もこうした未曾有の災害に身を置くのは初めての経験です。多くの方々の知恵をいただきながら次世代にしっかりと残していきたいと思います。キリスト者として、教会としてまさにその真価が試される情況にあると言えます。

2011/04/11

人々をつなぐ教会連携

今回の大震災は日本の国の在り方まで問われる激変をもたらしたと思います。と同時にキリスト教界にもこの国で神の教会共同体を建て上げる上で、その信仰の在り方を根本から問われているように思います。それには教会がどう行動するか、とりわけ教会が主体性をもって取り組みができるかにあると思います。

実際に、この段階に至りこうした非常時に活躍するパラチャーチの支援団体も東北の地にある教会の意向を大切にしながら、少なくとも2~3年の長期戦で進めていきたいとの話しをお聞きし嬉しく思いました。それだけに諸教会は主体性を持って取り組むべきであると思っています。行政との協力関係も大切にしながら、その地にある教会、そのメンバーであるクリスチャンが関係する人へと広がる支援の取り組みが実現するように励みたいものです。

そうした中で先を見通した取り組みをしている福音派の教会連合があることを知り心強く思いました。それは東海福音フェローシップの「TEF地震対策委員会」です。将来の東海地域の地震災害に備えてこれまで災害時の対策を検討してこられたそうです。そしてその一環として、今回の東日本大震災に際し、ボランティアを派遣し活動しています。主として国際飢餓対策機構の働きと連携してきました。その国際飢餓対策機構への協力を継続しながらも、もっと教会との関わりでそのボランティア活動を継続し、東北地区の教会と連携しながら取り組みを続けていきたいと願っています。とても素晴らしい視点である思います。今週にも担当者と会い情報交換を共にし、協力関係を模索したいと願っています。

私たちは宮城県沖地震をも経験しているのですが、またその後も大きな災害が起こっていながら、災害時における教会の取り組みについて考えも及ばなかったのです。もちろんに団体においてもそうした話題を耳にすることはありませんでした。

今回は桁違いの災害を目の当たりにし、まさに被災地のただ中で、身近に被災者もいることで人ごとではなくなりました。どうしても次世代に残すべき課題であると思っています。

少しずつ連携が広がりつつあるなかで、真剣に意見交換ができ、神の救いのご計画に寄与できればと願っています。

2011/04/09

地域になくてはならない教会

「災害復興支援SBSネットワーク」建て上げにはいくつかの理由と目的があります。どのような支援団体であっても、同じ思いであると思いますが、被災地にある教会がいち早く回復し、置かれた地域の復興、繁栄に寄与できるようになる支援を実現することです。

この思いは他人任せ、あるいは物量的に大きな扱いをする団体に依存的であってはならないし、むしろ主体性を明確に持って活動すべきであると考えています。この主体性を持つことが真の協力関係を築いていけると思います。私たちのできることには限りがあります。と言って手をこまねいている訳にもいかないのです。

ですからまず教会のリーダーである牧師が憂いなく牧会活動とその働きにおいてリーダーシップを発揮できる一助になる取り組みを大切にします。献げられた贈り物は優先的に被災地のリーダーたちに用いていただくことです。そのためにはできるだけ早めにお届けしたいと思っています。

そしてその教会家族の一員が被災し痛んでいるなら、まず一歩でも半歩でも前に踏み出せる支援が実現できれば願っています。

まさに被災地のただ中にある教会からお手紙が届きました。主要メンバーの家族が津波で何かも失ってしまいました。今は教会から遠く離れ、親戚の家に身を寄せているというのです。他にも自宅が壊滅的な被害を受けた方もいます。被災したクリスチャン家族が痛手を負うだけでなく、その教会も痛みを担うことになります。とりわけ、東北の地で宣教する教会の多くは日本の平均的な教会にも及ばない群れ、主の家族と思われます。

まず一歩前進のために力になれるならばこの上ない喜びです。教会の繁栄が地域の繁栄になるよう祈り、協力の手を差し伸べていただける方々が増し加えられるようにと願っています。献げてくださる方々もこの思いを共有していただけると信じています。

今回のこの巨大地震によってもたらされた被害は巨大です。継続できる支援、長い目で支援し続ける支援の在り方を模索しながら、次善の策を見出されればと思います。地域になくてはならない教会共同体が実現するくらいの取り組みでありたいと願っています。

2011/04/07

ほんとに助けを必要とする人に

昨日、石巻に出かけました。今回で三度目の訪問ですが、今回も二つの教会を訪ねるためです。一つは「祈りの家教会」です。文字通り自分の自宅を開放して主にある集まりと、宣教に取り組んでいる教会です。中心となっている阿部さんご夫妻は私たちの信仰の先輩でもあります。団体に所属しているわけではないので素早く救援物資が届いたわけではありませんでした。

彼らの住むこの神明地区も津波の影響による浸水地域です。彼らの家自体は浸水をかろうじて免れました。しかしライフラインの復旧が遅れ、住める情況ではなかったのです。その上、ガソリンを得ることが困難で動きは制限されました。それでも割合早い時期に活動を開始し、恵みの救援物資を取り次ぐ拠点として活動し始めました。私たちも彼らの必要に応え、ネットワークで集まった物資を届けることができました。水明地区は高齢者の方々も多い地区で、本当に助けを必要としている地区だということです。

今回、訪問してみてとても興味深い取り組みをなされていたので紹介しておきたいと思います。すでに他のグループからの物資の供給を受け、地域の必要に応えています。当初は必要としている人にただ渡すだけだったのですが、それによって本当に助けになった人がいる反面、中には人間の欲から、ため込もうとする方も見かけるようになったというのです。そうなると本当に必要な方に必要なものを渡せないと判断しました。

そして彼らの的確な判断で、ただ、人に救援物資を提供するだけの方法をやめたというのです。提供できる救援物資の案内を印刷し、地域に配ります。そして、そこに来られた人々に自分の必要物資を記載していただき、さらに名前、住所等を記していただき、その上で必要物資を提供しています。この時に希望しながら得られなかった物資は次の機会に入ったときに連絡できる仕組みになっています。とても知恵ある方法であると思います。

このような窮状の中では、みんなが支え合わなければならないのですが、人間の自己中心性は私たちの想定を超えた行動をとる人たちがいるという現実に心を留めました。

今回私たちが訪ねた時、ちょうど救援物資を皆さんに渡すときでした。一度に多くの方々が来られていましたので、少しお手伝いをしました。受付をして案内するのですが、いつの間にか、自分が希望すると記した物とは違う物を次々と袋を詰め込んでいる人がいます。二度も、三度も入れようとしている方もいます。何となく注意するのもはばかる雰囲気です。何とも複雑な思いです。

中には高齢の方で、本当に助かった、と全身で安堵感を示しながら帰っていかれる方々もいます。決して十分とは言えませんが、少しでも不安を解消できるなら幸いです。

祈りの家に集うクリスチャンたちはこのような活動を通してこの地域にしっかりとメッセージを伝えることができるし、また受け止めていただける信頼を得たのではないかと思います。

週初めに行った気仙沼にある諸教会も、塩釜教会も地域の支援に取り組んでいます。他の地域に置かれた教会でも恵みを取り次ぐ拠点として用いられています。この祈りの家の取り組みを参考にされたらと思います。主の教会を通して神様の祝福がその地域に持たされるように祈ります。

2011/04/05

恵みの業の広がり

巨大地震発生から三週間経ち、被災地にはある程度、救援物資は届いているようです。それでも実際に被災地に入って活動している方々から聞くと、まだ十分でない避難所があると言います。それでもそうした場所は次々と北上しているように思うとのことです。

被災地の広がりを考えると支援物資を送り届ける拠点が仙台から次の拠点へと広がることでより効果的な支援活動は実現できるのではと考えています。また必要としている方に必要なものを届けるために、必要な救援物資を提供してくださる方々の情報網を途切れなく持つ必要があります。

今日、女川出身で、石巻でクリスチャンになった方、現在は関東に住んでおられる方を紹介され電話でお話できました。できることは必要に応えるようにしたいとの申し出です。また自分たちのネットワしークを介して支援要請もできるとも話されました。実はその方自身もある意味では被災者と言えます。母親と妹さんが今回の地震による津波に巻き込まれたようです。未だ行方不明とのこと、本当に心傷む話です。

また、地元に住む一人の婦人から電話がありました。ボラティア活動に参加したいと言うのです。近くであるという親近感からか、クリスチャンである私たちの活動に協力したい申し出られました。その方も今回の震災で名取に住む身内の方が津波の被害を受けたそうです。クリスチャンと行動を共にしながら神様の真実さが伝わるのであればこれほど素晴らしいことはありません。

現在、この神学校をベースに活動しているNORTHSTARのグループにもクリスチャンでない方が一人加わっています。彼らの近所の方のようですが、その方が災地を訪問しながら自分の人生観が変わってきたというのです。こうした行動を共にしながら福音の素晴らしさを伝えていきたいのだと、そのリーダーは話していました。

さらに、関東からも被災者支援が一時のことに終わらず、継続的に行われるように願って電話をされた方がいます。願ってもないことです。

また、この神学校の近所の方ですが、神学校をベースにボランティアの方々が動いている様子を見て、もしかしたら今回の震災のために活動しているのではと声をかけてくださいました。そして、今日、子供のための絵本をミカン箱一個分持って持って来られました。早速、今日、支援物資の輸送に加えていただき運んでいただきました。その上、何か必要があれば伝えてくださいと申し出られました。

こうした情報を基に、今後、支援を必要としている方々を確実に見出していくことです。こうした情報を得る活動をするボランティアも必要です。関心のある方は是非連絡していただき、支援したい人たちの思いに応えていただければと願っています。

それぞれの地区に置かれた教会を介して、またそのクリスチャンたち、さらにクリスチャンの親戚や知人、友人を介して、人から人へと恵みの業が広がる働きが実現すればと願っています。教会がその地域の貢献になくてならない存在になれたらと思います。

2011/04/03

恵みを取り次ぐ拠点

急遽、気仙沼の阿部オフセット印刷を経営する阿部さんたち家族(二世代のクリスチャン家族)の支援、ボランティアを実行することになりました。彼らが所属する気仙沼第一聖書バプテスト教会はすでにキリスト教メディアでも取り上げられていますように今回の津波で全て失われてしまいました。そして阿部さんたちはこの教会の中心的なメンバーであり、これからの教会再建になくてはならない存在、要となるクリスチャン家族、事業家です。

保守バプテスト同盟は当初から、団体の機関誌をはじめ印刷物は阿部さんたちの好意に支えれてきました。他にも伝道用とラクトや読み物など宣教のために献身的に取り組まれています。また私どもの神学校も基本原則シリーズの印刷ではお世話になっています。

印刷会社と住宅は今回の津波の影響で氾濫した大川のすぐそばに位置し、一階部分は完全に水に被われてしまいました。生活再建、事業再建を一刻も早く進めるために、今回、人海戦術で一気に片付けてしまおうという作戦です。

すでに先週末から他のボランティアチームが協力してくださっていますが、何とか明日一日で完了したいと願っています。阿部さんたちの生活再建は教会の地域への救援活動の拠点にもなり、今後の教会の方向性を見出すことにもなると思います。

今回、クラッシュの関係で来ている一つのチーム(7名)も協力してくださいます。彼らは大型バスとワゴン車二台で気仙沼の反松にある教会に救援物資を運び、荷物を届けた後に合流する予定です。また山形から4名、岩手から3名のチームが参加します。

なお、阿部さんたちのすぐ目の前の空き地で日常生活用品や食品を近所の方々に提供します。できる限りの物資を運びたいと計画しています。今後も阿部さんたち家族を通して多くの方々に必要物資を提供することが可能になります。本当に必要としている方々に届けられるように願っています。

人から人へ、その尊い恵み、好意が渡されますように。そして受けた方々を通して、さらに恵みが広がっていきますように。自分たちだけのことを考えれば、もう十分ということにもなるかもしれません。しかし、受けた愛は留まらず、さらに広がるように取り組みたいと願っています。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/04/01

広大な被災地

昨日、再度石巻と気仙沼に行ってきました。今回はすでに支援を申し出ておられる方々の思いを実現するための調整でもあり、情報収集でもありました。今回も現場に足を入れるたびに人間の無力感をまざまざと見せつけられます。気仙沼ではキングスガーデンの本部長に労していただき、気仙沼の象徴的な被災地を案内していただきました。実は本部長自身も、理事長、事務長の家も失いました。また20名数名ほどの職員たちもが被災者たちです。

とりわけ東浜街道から鹿折地区の惨状は現実の世界から全くの別世界に引き込まれる思いです。すでに多くの映像や写真がたびたびメディアで取り上げれていることもありますが、あえて自分自身がシャッターを切ることを意志的にやめました。全身の感覚で、このとてもつもない爆発的な自然の力を記憶にとどめることにしました。

帰りは、一関に出て高速を乗ることを勧められましたが、あえて45号線を下り本吉方面、大家海岸線を下り登米市を経由する道を選びました。キングスガーデンの理事会や教会奉仕で何度も通り慣れた道ですが、いったいここはどこを走っているのかと迷うばかりの光景が続きます。海岸線の波は実に静かであるのが印象的です。

何カ所か補修された道路を通過したのですが、かなり早いピッチでの修復工事に敬服するばかりです。三陸道、登米東和から乗りました。ところが石巻まで来たのですが、その先は少しも動かない。南インターから仙台方面に向かおうとする車で大変な渋滞でした。急遽、そこ下り、石巻から鹿島台に抜ける道を選びました。ほとんど車は通らず、順調に進み大和インターから東北道に乗り、仙台に戻りました。

帰り道、何をどうしたらいいのだろうか、悶々しながら車を走らせました。あまりにも広大な被災地に脱力感する覚えます。とにかく、知り得るクリスチャンたちを経由して、でき得ることを着実に進めていくことしかないのです。長期戦で責任ある自己管理をしながら目の前のことから一つづつ整えていきたいものです。

気仙沼だけでも避難場所は9箇所ほど、その中のケーウエーブには1000人ほどの人々が避難生活をしています。建設予定として打ち出されている仮設住宅は100戸ほどというのですから、今後さらに、多くの人々が非日常的な生活を余儀なくされます。気仙沼がこの現実ですから、他の被災地を考えればなおのこと、国家プロジェクトして町作りを描き、復興に取り組んでいただくことが必要だと思います。

一方、何とか、自分の家が残った人たち、なんと住める人たち、この人たちの再建はさらに困難を極めています。生活を取り戻すための後片付け作業が目の前にあります。当座のボランティアの対象はまさにこの人たちであると思います。

もうすでに支援の格差のようなものが出始めていようにも思います。私たちは「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。---- あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」との主イエスの教えを心に秘め、本当に助けを必要としている方に出会うように取り組んでいきたいと願わされました。

災害復興支援SBSネットワークの大切にしたいことの一つに支援したいという方の心と支援を必要としている方の心とが共鳴できるような支援を実現したいと願っています。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/03/30

ボランティア参加の備え

災害復興支援ボランティアの参加について紹介したいと思います。このたびのような巨大地震による災害に遭遇した当事者の中には、気丈に対応しておられる方々がおられます。しかし、被災者の多くは私たちの想像以上の心的、精神的、肉体的ショックを抱えています。それだけにボランティア参加者は活動に際し、自分のことは自分で責任を持って行えるよう十分に備えて参加する必要があります。相手に決して負担感を与えないボランティアになるよう努めたいと思います。これがSBS「至高の美を献ぐ」という理念に通じるものです。
参加するに当たって以下のことを確認してください。そして十分ご理解の上、参加されるようお願いします。

1.  作業(作業の種別によって異なる)に必要なものは自分で最大限想像力を働かせ、準備して参加することができる。

2. 滞在期間のボランティア現場での飲み水、食料、日常生活の必需品(傷薬など)等は活動時間、日数に合わせて、基本的なものはあらかじめ準備することができる。

3. チームと協調して行動することができる。

4. 宿泊するときは寝袋(冬の寒さに対応できるもの)を持参することができる。

5. 仮に一日、二日シャワーの使用ができなくても十分対応できる。

6. 計画通り進まなくても、臨機応変に可能性を見出す対応ができる。

7. 体調を十分整えて参加し、決して無理を押して参加することのない自己管理ができる。

以上のことを踏まえて参加希望される場合は
(1)所属教会(牧師名)
(2)参加人数(複数の場合のグループの責任者)
(3)日程(できれば複数案)
等々、メールでお知らせください。

なお、ボランティア活動に参加される時には事前に「ボランティア保険」に加入されることをお勧めします。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/03/29

医療品等の提供

私たちのネットワークの情報を介して米国リフォームド・バプテスト(Reformed Baptist congregations)の援助を取り次ぐコーディネーター、Jim Howell(ジム・ハウエル)氏が来日します。今回は、アメリカが避難勧告している地域にいるRBの関係者に医薬品(約330,000ドル分)を届けるためです。

その後に仙台に来て情報を収集し、これからの援助活動の輪を広げていきたいと考えています。活動する皆さんの中で特に医療関係で支援を必要としているという情報をお持ちの方々と連携して、支援が実現できたらと願っています。それぞれの支援ネットワークで共有できれば感謝です。

ハウエルさんはこれまでも米国内、オーストラリア、ニュージーランド、とシンガポール等のR.B教会の兄弟姉妹の思いを、ミャンマー、スリランカの津波、パキスタン、中国の地震、さらに米国のハリケーン・カトリーナなどでの災害援助活動に届けてきた方です。

今回も日本の被災した方々に医療品等を届け、援助していきたいと願っています。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

ネットワークとネットワーク

「災害復興支援SBSネットワーク」の大切な意図は、復興支援をしていこうという主体性を持ち取り組むこと、そしてそれぞれのネットワークが持つ情報を共有し合い、多角的な視野で確かな支援復興を実現していくことにあります。私たちは私たちであればこそ得られるネットワークのからの情報を共に共有していただき復興支援に寄与できればと考えています。

すでに仙台地区では「仙台キリスト教連合 被災支援ネットワーク」があって、ホームページ「東北HELP」を立ち上げ各団体の支援活動の情報を確認できるようになっています。

さらに、いのちのことば社のクリスチャン新聞では巨大地震直後の3月14日以来、通常の紙ベースの新聞に先立って毎日、震災関連で取材した記事を次々と電子版「JP NEWS」に載せています。全国的な視野で確認し合える情報です。

そしてそのいのちのことば社からの情報によりますと、お茶の水クリスチャン・センター(OCC)でも、同様に情報の共有が喫緊の課題だということで、事務所を設け専従スタッフを置き、救援側と被災現地側で情報を発信しているところをリンクして互いに出会えるようなサイトの立ち上げを急いでいるとのことです。JEA援助協力委員長の中台孝雄先生を会長に、OCCに関係している諸団体が協力して「東日本大震災救援キリスト者連絡会」(事務局長:元JEA総主事の稲垣博史)という名称で、すでに「仙台キリスト教連合 被災支援ネットワーク」とも連携しようとしています。

決して見落としてならないのは、それぞれ被災地にある教会共同体、ないし被災地に隣接する地区教会共同体、そして全国の全ての教会です。こうした教会が主体になった取り組み、教会共同体を建て上げていくような取り組みができるかどうが、この21世紀のキリスト教会の存亡にかかっているように思います。救援物資がスムースに流れれば良いだけだけではすまない大きく大切な課題です。

なお、本校を拠点に約一週間、被災地現場に踏み込んで取材し、発信した「Grassroots News.TV」の視点は興味深い。文化の中で神学するという視点、この国に神の家族共同体を建て上げる視点から参考にできるのはないかと思います。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/03/26

救援活動ボランティア募集

現在、神学校を拠点に活動しているCRASH JAPANのティームの一部が東京に戻り、もう一つのグループが来週も活動を続けます。そこで急遽、彼らがいる間に日本人ボランティアの活動を実施したいと思います。希望される方は是非参加してください。次週月曜日から木曜日(28~31日)にかけて実施する予定です。まずはご連絡ください。調整します。

ほとんどが初めての経験と思われますが、災害ボランティアは体験して学ぶものでもあります。この機会を用いていただき、次につなげる経験、また他日に備えるためにの実習となるように取り組みたいと思います。そして日本人クリスチャンたちによるリーダーシップで、緊急時はいつでも対応できる備えができるようになればと願っています。

参加条件は、こうした災害ボランティアに参加経験のあるなしに関係なく、自発的参加で、そして主に、隣人にどのような条件でも最良の奉仕を献げようと思われる方々であれば、どなたでも参加できます。思わぬ情況でも知恵を尽くし、可能性の道を見出そうとの意志のある方です。

今回は最初ですので3~4人のティームを構成したいと思います。できれば牧師たちにも加わっていただければ感謝です。

また、単に物資の搬送だけではありませんので、一日は自活できる備え(寝袋、食料、飲料水など)のできる方で、外でも作業できる装備の可能な方です。ただし、今回は出先で宿泊はしません。宿泊は神学校になりますが、寝具は十分ではありません。今年はいつになく寒く、真冬並の寒さが続いています。特に靴は登山靴のようなしっかりしたものをお願いします。

今日も被災地、北上川に隣接する石巻の住吉町付近を回りました。巨大地震による津波の爪痕は強烈な印象で、言葉には尽くせないものでした。しかし、家の中の残土、流入物、破損した家具などの搬出に黙々と労する人々の姿がありました。こうしたところでの後片付けボランティアの活動がすでになされています。

しかも、まだ支援物資の届かないところ、さらに必要としているところがあります。一つは鹿妻町にある市営住宅、県営住宅などは生活物資を必要としているところです。一箇所に救援物資が集中することのないように知恵を尽くす必要があります。

今回のボランティア活動は確実な情報を得る作業の一つでもあります。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/03/25

行政との連携

早速、中澤牧師からとても参考になるメールをいただきました。その要旨は以下の通りです。支援物資が教会の置かれた地域の人々に、本当に必要としている方々に届ける一つの手段として参考になるのではないかと思う。

今回の災害で教会には救援物資であふれています。一人の行動では限界があります。捧げてくださった方の大切なものを何とか無駄になるようなことのないようにと考えました。私は青葉区愛子ですので、宮城総合支所、社会福祉協議会に出向き、救援物資が教会にあることをお伝えしました。行政側の関係で必要な方に対して連絡がなされます。そして連絡を受けた方は教会を訪問し、本人に直接必要物資を受け取ることなります。このようなことに関しては、間接的な災害となるそれぞれの市町村支所で受け付けていただけます。その際、できましたら物資の詳細なリストを持っていくと助かるようです。

他の方法として、県や市町村に対して物資を援助(寄付)する場合は次の通りです。宮城県では、食品関係に関しては農林水産部食産業振興課(022-211-2963)平日9時以降から5時まで、日用品に関しては保健福祉部総務課(022-211-3183)平日9時以降から5時までです。この場合も物品のリストを作成し伝えることをお勧めします。

しかし、教会としては前者の方法、近くの行政窓口にお話しをして連携を取ることをお勧めします。それは個人の必要にも細かく応えることが可能であると考えるからです。またこうした取り組みを通して行政との信頼も確保できると思います。

今回の震災はとても大きな災害であり、長い期間の取り組みが必要となることが予想されます。どうかご検討くださいますようお勧めします。以上です。


援助物資は援助を必要とされる方に届けられますが、教会に与えられた大切に役割です。被災地で不自由な生活に置かれた人々の援助は優先されますが、と共に、二次的、三次的に被害を被った方々にも目を留めるべき大切な視点を与えてくださいました。また、教会が行政側と連携することで、今このときだけでなく、次に備えることになると思います。

2011/03/24

「災害復興支援SBSネットワーク」

想定外の巨大地震、「東日本大震災」のゆえにすでに10000人以上のかけがえのない命が失われました。さらに行方不明の方々が12000人を超えています。そして一時は40万人を超える人々が避難生活を強いられました(現在24万人)。こうした中で様々なクリスチャングループ、団体、また諸教会が支援のために敏速に行動されました。私たち神学校も実際に支援活動をされる方々の拠点として施設を提供し対応してきました。徐々に今後どのような支援の在り方が求められているかが明らかになってきています。このたびの災害の規模を考えますと、ある程度、長期にわたって、情況の変化に対応できる支援活動をしていく必要があるように思います。その大切な鍵は各教会の主体的な取り組みであると思います。

本校の略称であるSBS(仙台バプテスト神学校)をクリスチャンの支援理念と読み替え、至高(S)美(B)献(S):「至高の美を献ぐ」とし、もっとも尊い価値あるものを献げていきたいという思いから「災害復興支援SBSネットワーク」という窓口を設け取り組むことにしました。私たち神学校が関係する教派を超えた内外の諸教会、クリスチャングループ、また主にある兄弟姉妹たちの尊い支援を取り次いでいきます。

本校との関わりで、この震災で痛んでいる方々を支援したいという方々の尊く、価値あるものを確実に届けていく働きを実現したいのです。また、そのために最良の奉仕を献げたいと願う主にある諸教会、兄弟姉妹と共に取り組んでいきます。

さらに、直接の被災地だけでなく、その周辺でも、今回の災害のゆえに、困窮に陥っている方々がいます。諸教会のクリスチャンたちの情報を介して、また諸教会の兄弟姉妹の思いと行動を介して必要な支援が実現できればと思います。まさに教会が、またクリスチャンたちがその置かれた地域共同体の中で、その地域の繁栄を求めまた寄与貢献していくためです。この一事に共に取り組むことは主の思いと受け止めます。

また教会のボランティア活動等の研修や実践が実現できればと願っています。

SBSネットワークとしての考え方や情報は、特設ブログ(http://saigai-sbs-net.blogspot.com/)にて随時公開いたします。

「災害復興支援SBSネットワーク」規約

前文:

このたびの巨大地震により、被災地はもとより、全国に渡って日常生活を一変することとなった。私たちのこれまでのネットワークの中で、一日も早い復興を願い、物心両面にわたる全人的な支援をしていくことを決意した。国内外の有志によってネットワークを構築し、他の支援グループと情報を共有し合いながら支援活動を実践していく。

第一条(目的) 東北関東大震災により生じた痛みを担い、助けを必要としている方々のために「至高の美を献げる」(SBS)ことを目的とする。

第二条(名称) 「災害復興支援SBSネットワーク」とする。

第三条(所在地) 仙台市青葉区芋沢字花坂上野原40-1に置く。

第四条(会員) 趣旨に賛同し、目的実現のために真心からの献身を表明するクリスチャンとする。

第五条(役員)代表一名 実行委員若干名を置き、その中から会計を担当する。

第六条(役員任期) 役員の任期は一年とし、再任を可とする。

第七条(代表) 代表はこのネットワークを代表し、運営する。

第八条(運営) 随時会を開き、重要事項を決議し、実行する。ウエブ上でも会議を行うこととする。

第九条(活動資金) ネットワークに参加するメンバーによる自発的な寄付によって運営する。

第十条(規約改正) この規約はメンバーの過半数の同意によって改正することができる。

附則

1,役員は以下の通りとする。

代表 森谷 正志 山形市神尾752-24 電話08055776605

会計 遠藤 悦子

災害復興支援SBSネットワーク

ゆうちょ銀行 記号:18160 番号:30145421 代表:森谷正志

他金融機関からの振込場合

店名:八一八(ハチイチハチ)店番818 預金種目:普通預金 口座番号:3014542

2,この規約は2011年3月20日から適用する。

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災害復興支援に協力できる方、救援物資や資金面で、またボランティア活動などに協力いただける方、また、この働きの推進のためにボランティアを希望される方は直接電話をいただくか、あるいはメールをいただければと思います。

また皆さんの中で、助けや支援を必要としている方々についての確かな情報がありましたらお知らせください。

「災害復興支援SBSネットワーク」
住所:宮城県仙台市青葉区芋沢字花坂上野原40-1 仙台バプテスト神学校内
電話:022-394-6935 or 050-3326-9594 メール:sbs.office@c-bte.jp
責任者:森谷正志 携帯:080-5577-6605 メール:mssmry2@msn.com
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最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8