2011/04/30

何を見、考え、何を目指すのか

巨大地震発生から一ヶ月半が経ちました。しかし、今まさに救援から復興活動へと動き始めたと言えそうです。さらなる創造的取り組みのために知恵を必要としています。

とりわけ、神の民として歩む者として、この支援活動の中で、いったい何を考え、何に関心を持ち、何を見て、何を目指して活動しているのか、自らの心、競争心や自己満足、高名心などを点検し、かつ冷静に観察しながら取り組みたいと心を新たにしています。

今回の災害の規模、広がり、深刻さは計りがたいものがあります。そうした中でのクリスチャン、クリスチャン団体、諸教会の支援活動は着実に広がっています。その取り組みの中で教会家族が新たに生まれるならばと夢見ました。しかし夢は現実に、思いがけない仕方でその方向性が見えてきました。日本アライアンス・ミッションがこの大震災を期に支援活動の延長線上に主の教会共同体を建て上げていく決断をされたとの知らせをいただきました。

クリスチャン人口が少ない中で、また全体から見れば数少ない件数とは言え、教会が津波に飲み込まれ流出してしまうことは大きな出来事でした。改めて教会の存在、しかも単に建物でない、その地域に生きるクリスチャン共同体の大切さを考えさせられています。

このような大震災による惨状の中で何が本当に大切なものか、何がいつまでも残るものかを考えさせられました。しかも教会、クリスチャンの存在そのものが問われました。がれきの中に立てられた十字架はシンボルです。そこに生きるクリスチャンたちがあってこその輝きです。今回の震災は、建物は建っていても、また建てても、教会がないという事態にならないのか、クリスチャンにとって、とてつもなく大きな、かつ大切なことを考えさせられていると思います。

福島原発の災害事故に伴う強制避難とか、自主避難による教会の存続を考えたとき、教会が何であるのか明確になりました。教会はある、しかしそこに集えないのです。誰もが分かっていると思いますが、教会は建物ではありません。建物は一つの手段に過ぎません。

このよう中で黙々と、痛んでいる人々を見つけ出しては援助の手を差し伸べているクリスチャンたち、教会があることを知っています。その取り組みの中でその愛に動かされ、愛の神の真実に生きようとしている方々が起こされていることを聞いています。アメージングネットワークミッションもその働きを実現にしているクリスチャン共同体の一つです。

他にも支援活動する人たち、自分たちのユニフォームを脱ぎ捨て、普段着で主の愛を実現する取り組みをしておられる方々がいます。仮に大きなパラチャーチの支援団体とは言え、多くのクリスチャンや善意ある人たちの捧げものによって成り立っています。ですから、個々人の善意を、善意を持って届けるとしたら、ユニフォームでなく普段着で人々に近づいてこそ、真の支援と言えるでしょう。そしてそのような支援が真の教会共同体と生み出していくと期待します。まさに初代教会はそうでした。教会、真の共同体に注目し、単なるパフォーマンスに陥らないように注意したいと思います。

今、この時に求められるのは、クリスチャンの真実な行動、行為です。今こそ聖書の規範、原則の基づいて行動すべきときでしょう。その時、教会は教会として存続すると思います。そのような主の心を実現する取り組みは、今、求められているように思います。

こうした方々取り組み、決意は、心からの支援、援助の延長線上に神の理想共同体、教会の存在を見据えています。今まさに、必要としている真実の愛の業によって、地域の繁栄に貢献できる生ける教会家族共同体がこの東北の地、あちこちに生み出されることを夢見、祈りたいと思います。

2011/04/25

心のケア 「聞く」

ボランティアにはさまざまな活動がありますが、今回、とても大切な心のケア、真の聞き手になるボランティアについて紹介したいと思います。先週末、南三陸町の避難所、これまでクリスチャンたちが誠実に取り組んでこられ、確かな信頼関係を築いた避難所の一つを訪問すことがきました。参加者は蔵王教会とその近隣の教会の有志たちです。

作業奉仕ではなく、避難しておられる方々と対面し、心のケアに関わるボランティアです。若者たちには子供たちと思い切って遊ぶことを通して実現できればと願ってのことです。ボランティアの一つ、心のケアをどう実現できるのか、研修も兼ねての計画でした。

当日は雨の日であったこと、山形の温泉旅館招きで二泊三日の外出の方々がおられたことで、予定外のこともあったが、それでもゆっくりそれぞれ被災者の方々と交わることができました。

物を提供するとか、支援物資を手渡すということに留まらず、人と人との信頼関係をいかに築けるか、私たちの誠実な思いが相手に伝わり、心の痛みを伝えてくれるか、そして癒され、次につながるステップとなるのか、非常に大きな課題を意識しながらの取り組みでした。そういう意味では互いに心を共有できる参加者であったので、不要な心配をせずに集中できました。

もし、この先に真の神の家族共同体が生まれることを願うのであれば、こうした心のケアを中心とした取り組みがとても重要であるし、しかも継続的に行われる必要があります。それが支援物資を提供する働きでも、がれきの後片付け、泥だし、掃除のボランティア活動であっても、必要な取り組みであると思います。そしてこうしたことに取り組むとができるクリスチャンボランティアチームが与えられることです。

傾聴する、聞くというのは矢継ぎ早に質問し、聞き出すことではありませんし、話しを聞いてはコメントしたり、自説の主張になったりでは、本当に「聞く」ことになりません。いろいろなことを聞きながら想像力を豊かにし聞く必要もあるでしょう。あくまでも聞き手に徹することが大切です。本当に話したいこと、深刻な問題であればあるほど前置きが長くなります。その人にとって大事な問題を話していただくためにはある程度の時間を必要としますし、本当に聞き手になってこそ実現するものであると思います。

とかく牧師は話すこと、説教すること、説明することに長けていますが、真に聞き手に徹するのはかなり難しいものです。ですから、沈黙とか間に絶えられず、ついうっかり聞き手から、話し手に変わってしまいます。聞くというの本当に技量が求められます。

こうしたことで適切なアドバイスや指導してくれる奉仕者が導かれればと願っています。一日、聞くことについての研修やワークショップを行い、現場に赴くことができたらと考えています。

とわ言え、技量以上に、真のクリスチャン、福音理解の明確なクリスチャン、キリストにある新生と、それに続く聖書の教えに基づく新しい生き方について、神様の意図をしっかりと受け止めているクリスチャンであれば、相手に対する愛、思いやり、同情心を持ち合わせているはずですので、全く問題なく、被災者の傍らに座ることができると思っています。

数あるボランティアの中でも、これから益々求められるのが「聞く」ボランティアであると思っています。真の神の共同体が生まれるとしたら避けられない取り組みであると思います。

2011/04/22

今こそ真の教会が

この大震災のただ中にある人たちに対する心からの援助・支援行為の先に真の教会家族の誕生というのは夢物語なのでしょうか。

その真の教会とは制度とか教派の伝統、組織に固められたものでもなく、ただ集会出席だけの教会でもなく、知的な満足だけで、生活の変革につながらない聖書学習会でもなく、また超自然的なこと、特殊な宗教的儀礼にのみ焦点を当てようとする日常的生活から離れた宗教集団でもありません。

そうではなく、家族を建て上げ、額に汗して働き、自らの必要と家族の支え、地域の繁栄に寄与する人たち、 また「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」このようなクリスチャン共同体、しかもその地域の文化の中で神学する共同体が建て上げられるならば、この被災した地域社会に求められる存在、なくてならない共同体と言えるでしょう。

さまざまな支援団体、教会が活動していますが、この大切な視点に注目し、互いに連携しあえたらと思います。

被災地のただ中にある教会の中心的なご夫妻が、地理的にも離れたところで休息しているとお聞きしました。多くの援助グループ、教会、団体が次々と訪れます。訪問される方はそれなりの思いと勢いがあり、支援したいという熱い思いで、しかも自己犠牲を厭わず励んでいます。

一方、迎える側は被災のただ中で、来訪者は嬉しい反面、肉体的にも精神的にも限界に達してしまいます。気づかないうちに疲労が蓄積します。善意は純粋に善意です。同時に受ける側の限度を思いやる必要があると思います。

間もなく大型連休、ゴールデンウイークがやってきます。民間も教会もかなりの数のボランティア志願者数があるのではないでしょうか。昨日の会合で、理想的な形で被災地の地域共同体の中に活躍する教会のリーダーに会いました。この連休は休むことにした、との発言、その思い切った決断に本当に良かったと思いました。

かなりの長期戦が予想されます。地元にある教会は、この被災地の地元に残り続けます。途中で折れてはならないのです。そのために休むことがどうしても必要です。長く続けるには疲労をある程度解消する必要があります。まさに地区教会の主体性があってこそ、援助活動は実を結びます。

こうした救援活動は被災地だけの教会に限らず、全国の諸教会にも問いかけられていると思います。福島の原発関係では着の身着のままで避難した人たちが大多数です。家族が切り離されるような事態にまで発展しています。教会の取り組むべき支援・援助活動はすぐ近くにあるかもしれません。

この災害復興支援のゴールはどこにあるのか、再度確認し、共に励みたいものです。明日も、被災地にいる方々の傍らに座る予定です。

2011/04/18

教会を通してなされる神のみ業

ワールドビジョン、国際飢餓対策機構、クラッシュジャパンにしても、それぞれベースキャンプとなる拠点を各震災地により密着できるように広げ取り組み始めています。それは救済事業の展開としては当を得たことであると言えます。救援物資や人材の派遣ではより効率よく、より迅速に展開できるようになるからです。救援の内容も復興の段階に応じた変化により的確な対応ができることでしょう。

しかし、こうした働きはある程度長期戦の取り組みになるとは言え、それでもやはり、いつかは引き上げる時が来ます。その時にどうなるか。その後どうなるのか。神の国のみ業は着実に継続されるのだろうか。こうした大切な方向性をしっかり見据えたいと思います。

やはり、その救援活動と共に教会があり、広がるベースキャンプの先に教会が存在していないなら、皆無とは言えないまでも、これまでの尊い働きがもったいないし、いわゆるキリスト教的慈善活動に終わってしまいかねないと案じるのは私たちだけではないだろうと思います。

もちろん、災害発生と共に行動した様々な救援活動は、地球よりも重いと言われる一人のいのちをつなぐとても大切な働きをなされたと思います。特に今回は津波の巻き込まれながらも助け出された人たち、ずぶ濡れでも着替えはない、汚れを落とすお湯もない、食べ物も飲み物も何もない中に駆けつけた救援ボランティアの働きは評価してあまりある行動であったと思います。そしてその後も続けられたいのちをつなぐ取り組みによってどれだけの人を勇気づけたか、尊いいのちをつなぐことになったか、まさに愛そのものであったと思います。

そして様々な復興プログラムが進むにつれ、その拠点、ベースキャンプが教会であるか教会と共にあること、さらに支援活動の先に確かな教会があることが理想的であると考えています。いつまでも残るものは神の教会共同体であるからです。

未曾有の大震災に見舞われた日本、世界中の教会が関心を持ち、支援活動がなし続けられています。しかし、このもっとも大切な教会という視点、その理念を明確にして取り組んでいけるかどうか、真剣に考え祈りたいと思います。単に人道的な働きとして記録されるだけの取り組みに終わらないように祈り、知恵を尽くしたいと思います。

2011/04/15

創造的支援

救援物資による支援も教会を拠点にその地域に届けられる仕組みは着実に広がっているように思います。同時に、継続的な支援を考えると、これまでと同様、本当に必要な人に救援物資を届けられるためにはより確かな情報を得る必要があります。それには、自らの足で被災地を歩き、必要を見つけ出すほかはないようです。あるいはそのように動いている方から情報を得ることです。

仮に、今日、明日どうするかの緊急時の中に置かれているときは、なにがしかの救援物資を手渡すことができます。しかし、命をつなぐ支援を受けた方でも、住宅を失った人であったり、あるいは後片付け、掃除をすれば住めるようになる方であれば、かつてのように日常生活を取り戻す、失った生活用品を取り戻すには相当の資金を必要としています。とりわけ自力で自分の生活を再建できる見通しが立つようになる、あるいは再建しようと心が動き出すまで、様々、有効な支援が求められます。

お会いして被災状況を聞くと本当に気の毒です。一人の被災者の情況を聞くだけで、いったい自分たちに何ができるのかと途方に暮れます。仮にこのような大震災でゼロになった方々、また1000万円とか2000万円、何千万の借財が残った人たちであれば、その先に抱える課題の解決策までは見通すことは容易ではありません。何をもっとも必要としていますか、との問いに「お金です」と応えるのは正直なところ、本当であろうと思います。

災害復興支援SBSネットワークを介しても支援金が届けられています。原則に従って速やかに届けるようにしています。もちろんできる範囲は限られています。

そうした中で温泉に招待する取り組みはこの時点で、もっとも喜ばれる取り組みのひとつのようです。この近くの秋保温泉にしても、作並温泉にしても宿泊客の来る前の日中に日帰り温泉を提供しています。それを利用して避難所や被災地の人たちを温泉に送り迎えするボランティアは大いに喜ばれています。すでに何百枚もの入浴券と送り迎えの車を用意してくださった方もいるようで、実際にその取り組みが始まっています。今この時の温泉浴は、損失や負債はなくならないけれど、その課題に向かって生きようとする活力は生まれます。

岩手の教会でも被災地から温泉一泊の支援を始めようとしていることを聞きました。迎える温泉旅館やホテルにも経済的波及効果も生まれるような取り組みをしようとしています。理想的な取り組みです。このために献げてくださる方がいるなら、時宜にかなった支援活動になると思います。

支援活動の現場に立ってみて考えさせられることですが、支援活動は単純ではない、情況を見極め、被災地に置かれた人々を振る立たせていける、より効果的な支援を創造していくことが求められます。

継続的な被災者支援は状況に応じた支援、創造的な支援を生み出すことができるどうかにあるようです。それには現場に立つことです。

主よ、知恵をください。力をください。創造力を与えてください。共に担える働き人、支援者を起こしてください。

2011/04/13

ネットワークの広がり

「東日本大震災救援キリスト者連絡会」が立ち上げられたことの連絡を受けました。支援の一元化ではなく、情報の一元化という点で有効に用いられることを期待しています。

「災害復興支援SBSネットワーク」はとても小さな一歩でしたが少しずつ同じ思いを共有できる方々から連絡をいただくようになりました。決して排除でも、独善的でもなく、ただ主体性もってこの災害復興支援に取り組む、この一事のゆえです。そして教会から教会へ、そしてクリスチャンから隣人へ、地区教会から地域共同体へとつながり、広がる支援を実現しようと願っています。

先回も紹介した「東海福音フェローシップ」(TEF)の「地震対策委員会」と連携し合うことになりました。当面毎週火曜日から金曜日の間、活動は中二日になりますが定期的に来仙する予定です。TEFの皆さんは予測される東海地震に備えての活動です。私たちもTEFの皆さんの取り組みに学ぶことは多いし、期待しています。また教会間の主にある交わりが広がればと思います。

来週にも何人かと今後の活動の可能性について話し合う予定です。一つは「弔いのミニストリー」について重荷を持つ方との情報交換です。すでにこの震災によって亡くなられた方で身元不明の方々のための葬儀が宗派超えて行われていると聞いています。特に日本では亡くなられた方々を丁寧に葬る儀礼はとても大切にする文化を持っています。教会もそうした価値観は共有できるものです。このような時にこそ教会が率先して取り組むべき課題であると思います。ぜひ、この東北の地でも実現して欲しいと願っています。同時にこうしたことに対する重荷を持つ教職者が起こされることを願っています。

さらに秋田では有志の教職者たちが「東日本大災害復興委員会」というNPOを立ち上げました。定款によると「この団体は、次世代社会が創造されるために、東日本大災害の被災者の救済と復興支援をすることを目的とする」とあります。長い目で見据えた復興支援を行おうとしていますので、互いに連携し合っていくことについて情報を交換しています。

それぞれが持っている独自のネットワークの資源や情報を互いに共有し合って、災害復興に取り組むことができれば幸いです。少なくとも自分もこうした未曾有の災害に身を置くのは初めての経験です。多くの方々の知恵をいただきながら次世代にしっかりと残していきたいと思います。キリスト者として、教会としてまさにその真価が試される情況にあると言えます。

2011/04/11

人々をつなぐ教会連携

今回の大震災は日本の国の在り方まで問われる激変をもたらしたと思います。と同時にキリスト教界にもこの国で神の教会共同体を建て上げる上で、その信仰の在り方を根本から問われているように思います。それには教会がどう行動するか、とりわけ教会が主体性をもって取り組みができるかにあると思います。

実際に、この段階に至りこうした非常時に活躍するパラチャーチの支援団体も東北の地にある教会の意向を大切にしながら、少なくとも2~3年の長期戦で進めていきたいとの話しをお聞きし嬉しく思いました。それだけに諸教会は主体性を持って取り組むべきであると思っています。行政との協力関係も大切にしながら、その地にある教会、そのメンバーであるクリスチャンが関係する人へと広がる支援の取り組みが実現するように励みたいものです。

そうした中で先を見通した取り組みをしている福音派の教会連合があることを知り心強く思いました。それは東海福音フェローシップの「TEF地震対策委員会」です。将来の東海地域の地震災害に備えてこれまで災害時の対策を検討してこられたそうです。そしてその一環として、今回の東日本大震災に際し、ボランティアを派遣し活動しています。主として国際飢餓対策機構の働きと連携してきました。その国際飢餓対策機構への協力を継続しながらも、もっと教会との関わりでそのボランティア活動を継続し、東北地区の教会と連携しながら取り組みを続けていきたいと願っています。とても素晴らしい視点である思います。今週にも担当者と会い情報交換を共にし、協力関係を模索したいと願っています。

私たちは宮城県沖地震をも経験しているのですが、またその後も大きな災害が起こっていながら、災害時における教会の取り組みについて考えも及ばなかったのです。もちろんに団体においてもそうした話題を耳にすることはありませんでした。

今回は桁違いの災害を目の当たりにし、まさに被災地のただ中で、身近に被災者もいることで人ごとではなくなりました。どうしても次世代に残すべき課題であると思っています。

少しずつ連携が広がりつつあるなかで、真剣に意見交換ができ、神の救いのご計画に寄与できればと願っています。

2011/04/09

地域になくてはならない教会

「災害復興支援SBSネットワーク」建て上げにはいくつかの理由と目的があります。どのような支援団体であっても、同じ思いであると思いますが、被災地にある教会がいち早く回復し、置かれた地域の復興、繁栄に寄与できるようになる支援を実現することです。

この思いは他人任せ、あるいは物量的に大きな扱いをする団体に依存的であってはならないし、むしろ主体性を明確に持って活動すべきであると考えています。この主体性を持つことが真の協力関係を築いていけると思います。私たちのできることには限りがあります。と言って手をこまねいている訳にもいかないのです。

ですからまず教会のリーダーである牧師が憂いなく牧会活動とその働きにおいてリーダーシップを発揮できる一助になる取り組みを大切にします。献げられた贈り物は優先的に被災地のリーダーたちに用いていただくことです。そのためにはできるだけ早めにお届けしたいと思っています。

そしてその教会家族の一員が被災し痛んでいるなら、まず一歩でも半歩でも前に踏み出せる支援が実現できれば願っています。

まさに被災地のただ中にある教会からお手紙が届きました。主要メンバーの家族が津波で何かも失ってしまいました。今は教会から遠く離れ、親戚の家に身を寄せているというのです。他にも自宅が壊滅的な被害を受けた方もいます。被災したクリスチャン家族が痛手を負うだけでなく、その教会も痛みを担うことになります。とりわけ、東北の地で宣教する教会の多くは日本の平均的な教会にも及ばない群れ、主の家族と思われます。

まず一歩前進のために力になれるならばこの上ない喜びです。教会の繁栄が地域の繁栄になるよう祈り、協力の手を差し伸べていただける方々が増し加えられるようにと願っています。献げてくださる方々もこの思いを共有していただけると信じています。

今回のこの巨大地震によってもたらされた被害は巨大です。継続できる支援、長い目で支援し続ける支援の在り方を模索しながら、次善の策を見出されればと思います。地域になくてはならない教会共同体が実現するくらいの取り組みでありたいと願っています。

2011/04/07

ほんとに助けを必要とする人に

昨日、石巻に出かけました。今回で三度目の訪問ですが、今回も二つの教会を訪ねるためです。一つは「祈りの家教会」です。文字通り自分の自宅を開放して主にある集まりと、宣教に取り組んでいる教会です。中心となっている阿部さんご夫妻は私たちの信仰の先輩でもあります。団体に所属しているわけではないので素早く救援物資が届いたわけではありませんでした。

彼らの住むこの神明地区も津波の影響による浸水地域です。彼らの家自体は浸水をかろうじて免れました。しかしライフラインの復旧が遅れ、住める情況ではなかったのです。その上、ガソリンを得ることが困難で動きは制限されました。それでも割合早い時期に活動を開始し、恵みの救援物資を取り次ぐ拠点として活動し始めました。私たちも彼らの必要に応え、ネットワークで集まった物資を届けることができました。水明地区は高齢者の方々も多い地区で、本当に助けを必要としている地区だということです。

今回、訪問してみてとても興味深い取り組みをなされていたので紹介しておきたいと思います。すでに他のグループからの物資の供給を受け、地域の必要に応えています。当初は必要としている人にただ渡すだけだったのですが、それによって本当に助けになった人がいる反面、中には人間の欲から、ため込もうとする方も見かけるようになったというのです。そうなると本当に必要な方に必要なものを渡せないと判断しました。

そして彼らの的確な判断で、ただ、人に救援物資を提供するだけの方法をやめたというのです。提供できる救援物資の案内を印刷し、地域に配ります。そして、そこに来られた人々に自分の必要物資を記載していただき、さらに名前、住所等を記していただき、その上で必要物資を提供しています。この時に希望しながら得られなかった物資は次の機会に入ったときに連絡できる仕組みになっています。とても知恵ある方法であると思います。

このような窮状の中では、みんなが支え合わなければならないのですが、人間の自己中心性は私たちの想定を超えた行動をとる人たちがいるという現実に心を留めました。

今回私たちが訪ねた時、ちょうど救援物資を皆さんに渡すときでした。一度に多くの方々が来られていましたので、少しお手伝いをしました。受付をして案内するのですが、いつの間にか、自分が希望すると記した物とは違う物を次々と袋を詰め込んでいる人がいます。二度も、三度も入れようとしている方もいます。何となく注意するのもはばかる雰囲気です。何とも複雑な思いです。

中には高齢の方で、本当に助かった、と全身で安堵感を示しながら帰っていかれる方々もいます。決して十分とは言えませんが、少しでも不安を解消できるなら幸いです。

祈りの家に集うクリスチャンたちはこのような活動を通してこの地域にしっかりとメッセージを伝えることができるし、また受け止めていただける信頼を得たのではないかと思います。

週初めに行った気仙沼にある諸教会も、塩釜教会も地域の支援に取り組んでいます。他の地域に置かれた教会でも恵みを取り次ぐ拠点として用いられています。この祈りの家の取り組みを参考にされたらと思います。主の教会を通して神様の祝福がその地域に持たされるように祈ります。

2011/04/05

恵みの業の広がり

巨大地震発生から三週間経ち、被災地にはある程度、救援物資は届いているようです。それでも実際に被災地に入って活動している方々から聞くと、まだ十分でない避難所があると言います。それでもそうした場所は次々と北上しているように思うとのことです。

被災地の広がりを考えると支援物資を送り届ける拠点が仙台から次の拠点へと広がることでより効果的な支援活動は実現できるのではと考えています。また必要としている方に必要なものを届けるために、必要な救援物資を提供してくださる方々の情報網を途切れなく持つ必要があります。

今日、女川出身で、石巻でクリスチャンになった方、現在は関東に住んでおられる方を紹介され電話でお話できました。できることは必要に応えるようにしたいとの申し出です。また自分たちのネットワしークを介して支援要請もできるとも話されました。実はその方自身もある意味では被災者と言えます。母親と妹さんが今回の地震による津波に巻き込まれたようです。未だ行方不明とのこと、本当に心傷む話です。

また、地元に住む一人の婦人から電話がありました。ボラティア活動に参加したいと言うのです。近くであるという親近感からか、クリスチャンである私たちの活動に協力したい申し出られました。その方も今回の震災で名取に住む身内の方が津波の被害を受けたそうです。クリスチャンと行動を共にしながら神様の真実さが伝わるのであればこれほど素晴らしいことはありません。

現在、この神学校をベースに活動しているNORTHSTARのグループにもクリスチャンでない方が一人加わっています。彼らの近所の方のようですが、その方が災地を訪問しながら自分の人生観が変わってきたというのです。こうした行動を共にしながら福音の素晴らしさを伝えていきたいのだと、そのリーダーは話していました。

さらに、関東からも被災者支援が一時のことに終わらず、継続的に行われるように願って電話をされた方がいます。願ってもないことです。

また、この神学校の近所の方ですが、神学校をベースにボランティアの方々が動いている様子を見て、もしかしたら今回の震災のために活動しているのではと声をかけてくださいました。そして、今日、子供のための絵本をミカン箱一個分持って持って来られました。早速、今日、支援物資の輸送に加えていただき運んでいただきました。その上、何か必要があれば伝えてくださいと申し出られました。

こうした情報を基に、今後、支援を必要としている方々を確実に見出していくことです。こうした情報を得る活動をするボランティアも必要です。関心のある方は是非連絡していただき、支援したい人たちの思いに応えていただければと願っています。

それぞれの地区に置かれた教会を介して、またそのクリスチャンたち、さらにクリスチャンの親戚や知人、友人を介して、人から人へと恵みの業が広がる働きが実現すればと願っています。教会がその地域の貢献になくてならない存在になれたらと思います。

2011/04/03

恵みを取り次ぐ拠点

急遽、気仙沼の阿部オフセット印刷を経営する阿部さんたち家族(二世代のクリスチャン家族)の支援、ボランティアを実行することになりました。彼らが所属する気仙沼第一聖書バプテスト教会はすでにキリスト教メディアでも取り上げられていますように今回の津波で全て失われてしまいました。そして阿部さんたちはこの教会の中心的なメンバーであり、これからの教会再建になくてはならない存在、要となるクリスチャン家族、事業家です。

保守バプテスト同盟は当初から、団体の機関誌をはじめ印刷物は阿部さんたちの好意に支えれてきました。他にも伝道用とラクトや読み物など宣教のために献身的に取り組まれています。また私どもの神学校も基本原則シリーズの印刷ではお世話になっています。

印刷会社と住宅は今回の津波の影響で氾濫した大川のすぐそばに位置し、一階部分は完全に水に被われてしまいました。生活再建、事業再建を一刻も早く進めるために、今回、人海戦術で一気に片付けてしまおうという作戦です。

すでに先週末から他のボランティアチームが協力してくださっていますが、何とか明日一日で完了したいと願っています。阿部さんたちの生活再建は教会の地域への救援活動の拠点にもなり、今後の教会の方向性を見出すことにもなると思います。

今回、クラッシュの関係で来ている一つのチーム(7名)も協力してくださいます。彼らは大型バスとワゴン車二台で気仙沼の反松にある教会に救援物資を運び、荷物を届けた後に合流する予定です。また山形から4名、岩手から3名のチームが参加します。

なお、阿部さんたちのすぐ目の前の空き地で日常生活用品や食品を近所の方々に提供します。できる限りの物資を運びたいと計画しています。今後も阿部さんたち家族を通して多くの方々に必要物資を提供することが可能になります。本当に必要としている方々に届けられるように願っています。

人から人へ、その尊い恵み、好意が渡されますように。そして受けた方々を通して、さらに恵みが広がっていきますように。自分たちだけのことを考えれば、もう十分ということにもなるかもしれません。しかし、受けた愛は留まらず、さらに広がるように取り組みたいと願っています。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8

2011/04/01

広大な被災地

昨日、再度石巻と気仙沼に行ってきました。今回はすでに支援を申し出ておられる方々の思いを実現するための調整でもあり、情報収集でもありました。今回も現場に足を入れるたびに人間の無力感をまざまざと見せつけられます。気仙沼ではキングスガーデンの本部長に労していただき、気仙沼の象徴的な被災地を案内していただきました。実は本部長自身も、理事長、事務長の家も失いました。また20名数名ほどの職員たちもが被災者たちです。

とりわけ東浜街道から鹿折地区の惨状は現実の世界から全くの別世界に引き込まれる思いです。すでに多くの映像や写真がたびたびメディアで取り上げれていることもありますが、あえて自分自身がシャッターを切ることを意志的にやめました。全身の感覚で、このとてもつもない爆発的な自然の力を記憶にとどめることにしました。

帰りは、一関に出て高速を乗ることを勧められましたが、あえて45号線を下り本吉方面、大家海岸線を下り登米市を経由する道を選びました。キングスガーデンの理事会や教会奉仕で何度も通り慣れた道ですが、いったいここはどこを走っているのかと迷うばかりの光景が続きます。海岸線の波は実に静かであるのが印象的です。

何カ所か補修された道路を通過したのですが、かなり早いピッチでの修復工事に敬服するばかりです。三陸道、登米東和から乗りました。ところが石巻まで来たのですが、その先は少しも動かない。南インターから仙台方面に向かおうとする車で大変な渋滞でした。急遽、そこ下り、石巻から鹿島台に抜ける道を選びました。ほとんど車は通らず、順調に進み大和インターから東北道に乗り、仙台に戻りました。

帰り道、何をどうしたらいいのだろうか、悶々しながら車を走らせました。あまりにも広大な被災地に脱力感する覚えます。とにかく、知り得るクリスチャンたちを経由して、でき得ることを着実に進めていくことしかないのです。長期戦で責任ある自己管理をしながら目の前のことから一つづつ整えていきたいものです。

気仙沼だけでも避難場所は9箇所ほど、その中のケーウエーブには1000人ほどの人々が避難生活をしています。建設予定として打ち出されている仮設住宅は100戸ほどというのですから、今後さらに、多くの人々が非日常的な生活を余儀なくされます。気仙沼がこの現実ですから、他の被災地を考えればなおのこと、国家プロジェクトして町作りを描き、復興に取り組んでいただくことが必要だと思います。

一方、何とか、自分の家が残った人たち、なんと住める人たち、この人たちの再建はさらに困難を極めています。生活を取り戻すための後片付け作業が目の前にあります。当座のボランティアの対象はまさにこの人たちであると思います。

もうすでに支援の格差のようなものが出始めていようにも思います。私たちは「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。---- あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」との主イエスの教えを心に秘め、本当に助けを必要としている方に出会うように取り組んでいきたいと願わされました。

災害復興支援SBSネットワークの大切にしたいことの一つに支援したいという方の心と支援を必要としている方の心とが共鳴できるような支援を実現したいと願っています。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ4:8