2011/05/27

南三陸町での新たな支援プロジェクト

大小にかかわらず、どの被災地も津波被害から免れた家、集落があります。こうした所は一見、特に支援を必要としていないように思われがちです。しかし、実態はそうではなく、むしろ支援を必要としています。場所によって支援から外れている場合があります。家が流されたりしていないので、当面の生活、衣食住の衣と住は何とかなりますが、命をつなぐ食の必要、その支援は必要です。ある程度継続的な支援が実現できるように取り組まなければならない場所もあります。

避難所生活か自宅避難生活かの際立つ問題は、避難所でないだけで支援を受けることに対する遠慮もあるでしょうし、逆に不満も増幅しかねません。また避難所の人たちには家のある方々に対するある種のうらやむ思い、自分が聞いている限り、ほとんどないように思いますが、生じないとも限りません。そこに両者の葛藤が起こることもあるでしょう。

それで現在、なんとしても実現していきたい支援の地域として、南三陸町の高台にある旭が丘です。その地域は現在約160世帯、600人ほどの人たちが住んでおられる団地です。住人の多くは、公務員は別として、職を失い、収入源を絶たれています。ここに住む限り、ある程度の生活再建の見通しが立つまで支援を必要としています。

しかも、ここには親戚関係を中心に、津波で何もかも流された家族が身を寄せています。さほど大きくないコミュニティーセンターにも避難生活をしておられる方々がいます。区長さんの話ですと全体として約50世帯、140人ほどいるとのことです。こうした方々は何もかも失ったわけですので、不断の生活を取り戻すために多くの生活物資の提供を必要としています。物以上にこうした方々に心を寄せる隣人の存在は励みになると思います。

もちろん、行政のルートで支援は続いていますが、必ずしも十分ではないようです。これからの新たな支援プロジェクトによって、何とか安心感を取り戻し、自分たちの生活再建に向けて一歩でも、半歩でも前に踏み出させるようにな状況に到達することができればと願っています。是非ともこの支援プロジェクトを実現できるように祈り、協力をいただければこの上ない喜びです。すでに区長さんとも直接お会いし、こちらの支援の意向を受け入れていただきました。私たちが隣人となって、ここに住む方々の支えになればと願っています。

是非、心に留めていただき祈っていただきたいのです。どのような支援の方式が良いのか知恵を必要としています。皆さんからの知恵をも期待したいと思います。なお、南三陸町の多くは水道はいまだ回復していません。電気も一部を除いて大部分は停電中です。

現在、企画思案中の支援:
当面は、被災した方々の実態とその人たちの本当の必要は何か、その情報を得られる取り組みを主として考えています。
(1)全住民を対象とした支援
(2)避難してきた方々を特定した生活物資の支援、
(3)子供たち(小学生30名ほど)、なた中学生、高校生を対象とした支援、
それぞれに交流の場を設け、心と心の触れあう工夫をしながら進めていきたいと思います。また一箇所で行うか、あるいは複数箇所に分けて行うか検討中です。

これらを実現させるために必要なもの、
(1)まとまった支援物資が継続的に確保できること、
(2)理念、趣旨をある程度共有できるまとまったボランティアチームの協力があることです。

これらの取り組みは単に物資を提供するだけでなく、人々とのより深い交流ができ、真の愛が愛を生み出していくような取り組みでありたいのです。そしてやがて「受けるよりも、与える幸い」を実現できる愛の共同体になることです。つまり支援を受ける立場から、支援をする立場に変えられるように取り組みたいと思います。さらに自然な形で、教会共同体、神の家族の素晴らしさに興味を持っていただけるような愛の業となるようにと祈り、願っています。

2011/05/21

求められるボランティア

被災地におけるボランティアの活動はとても大切な役割を担っています。しかし、被災地での必要に応えようとしているボランティアであるのかどうかと考えると必ずしも調和しない場合があります。きわめて特殊な事例で、一般化するつもりはありませんが、実際、葛藤した体験、今後は決してあってはならない一つの事例として記録しておこうと思います。そもそもこちらの思い込みが問題の始まりであったわけですが。

海外から11名ほどのグループが仙台に来ました。その窓口になった方は自分もよく知っている方で信頼関係から安心しておりました。それでも3.11の一、二週間であったら断ったであろうグループですが、二ヶ月も過ぎれば対応でききると考えました。しかし現実は失望感、葛藤、内心怒りすら禁じ得なかったのです。とは言え、これは100%、迎える側の責任であることを自覚しています。

問題の一、最後まで参加者の名簿、誰が、どのような方が来るのかが分からなかったことです。若い方なのか、ひょっとしたら年配の方で、動くには制約のある方なのか、男女の構成はどうなっているか分かりません。何よりもこちらの方針が十分に伝わっているのだろうか。ボランティア活動の基本的な了解事項を全員が納得してくる方々であるのか、結局最後まで分かりませんでいた。ただ分かっていたのは「何でもする、土方でも、どんな作業でもやります」との先方の言葉です。

ここ神学校は比較的宿泊しやすい環境であると思います。とりわけこのような震災の中でボランティア志願者の方々を迎える施設としては恵まれている方かもしれません。初期の段階で来られたボランティアの方々は「いや、ここはヒルトンですよ」と冗談交じりに話していたのを思い出します。その方々は本当にボランティアとして自己完結のできた方々で、その後につながる大切な働きをなされたと思っています。

ところが、今回、到着して早々、こんな部屋では泊まれないと言う。挙げ句の果てに帰るとまで言い出してしまった。確かに年配者で、さほど機敏に動ける方ではなさそうです。無理強いするつもりはありません。もちろん、ボランティアだから粗末なところでいいとは思いません。できればゆっくり休めて、きちんと食することができ、そしてしっかり仕事ができることだと思います。ただ、もう少し謙虚な対応はできないものかと思いました。これでもはやボランティアとしての条件を満たしていないことがはっきりしました。

結果的には一つのグループが5,6人は十分に宿泊できる部屋をその老夫婦だけで占拠することになってしまったのです。同じ時期に日本人グループのボランティアが来ることになっていたので、そのしわ寄せは彼らが受けることになりました。

この震災時に、助けを必要としている方々は大勢います。このような時に必要なボランティアは本物のクリスチャンであると思います。いわゆる「宗教的クリスチャン」は不要です。むしろ必要なのは福音を見える形で示せるクリスチャンです。

問題の二、ボランティアは現地の活動の方針に添う心備えができているかどうかです。実りのある活動には現場を見て、これまで取り組んで来た方から説明を受けるオリエンテーションは欠かせません。また現地の教会の取り組みを尊重する姿勢はボランティアの基本原則です。自分がしたいことをするのではなく、相手が望むことに応える、仕えることでボランティアの役割を果たせると思います。

活動の初日そのオリエンテーションの時であるとことを示した時に、第二の爆発が起こりました。自分たちは活動に来た、限られた日程であるので、すぐに活動したい、そうでなければ帰るという。こちらは、帰るなら、帰ってもいいと覚悟あるので少しも妥協することはありません。せっかくアメリカから来たのですから、と言う方もありましたが、その発想が問題なのだと突き放しました。

結果的には実際のボランティアに参加するのは男子2名だけ、他のメンバーと婦人たちは、自分たちは祈りのために来たということでオリエンテーションにも参加しません。現地を見るだけでも今後のために益すること多いと思いましたが、残念ながら参加しようとはしませんでした。ただ祈りのためなら、本国にいてもできるし、ただそのために他のボランティアを押しのけて、限られた部屋を専有する必要はないのです。また本当に祈るなら、被災の現場、現地で取り組む教会の働きを知ることは重要であったはずです。

ついに、活動の始まる朝、荷物をまとめて帰って行きました。参加した2名の男子も一日だけの作業で、それなりの働きをされましたが、その日のうちに帰りました。残されたのは無人のレンタカーのみです。

私自身、心を試されています。この震災時におけるボランティア活動、その動機において、一点でも主にかなわぬものがあってはならないわけです。主にあって純粋な動機で取り組みたいと願っています。被災者の方々にとって、真の隣人になれるボランティアを祈り求めながら取り組んでいきたいと願っています。