2011/07/31

大森地区での交流

先週火曜日、7月26日に、以前から約束していた南三陸町大森地区の皆さんとバーベキューを楽しむことができました。

この大森地区の方々との出会い、その支援の始まりは、旭が丘で出会った三浦さんという方の人を思う温かい心がきっかけとなりました。後から聞いたのですが、親戚関係であり、漁師仲間でもあったようです。漁師さんたちはいつも命の危険と背合わせの中で仕事をしているだけに、互いの信頼関係、支え合う心が、言葉を超えた強い絆で結ばれているように思います。

そうして始まった支援活動の中で気になることがありました。とりわけ大森地区の大半は津波によって破壊されています。共に集まるコミュニティセンターもなくなりました。高台で残った方々は家はあるけれども、被災者でもあります。しかし、避難所に行く必要はありません。ある意味でやむを得ない状況であったと思いますが、支援は後回しになりました。それで、いくつかのグループによって支援物資は届いたようですが、しかし、その届いたものは地域住民に等しく渡ったわけでもなかったようです。

皮肉にも不安や窮状の中で受ける救援物資のことが契機となって、地域住民の間に疑心暗鬼が生じ、人間関係の気まずさが後を引いていたのです。この地区のリーダーからも、何度か、住民が以前のように和やかに交流したいものだ、との話しを聞き、一つのきっかけ、もとの信頼関係を取り戻すきっかけになればと願いつつ、今回のバーベキュー企画となったのです。

イザヤ58ネット(福音伝道教団)のボランティアグループがこの週に来ることになっていましたので、皆さんの協力を得て実現することができました。さらに蔵王キリスト教会、カンバーランド長老教会、いこいの汀教会、宇都宮聖書バプテスト教会の皆さんの協力と支援を得ました。

何より、天の父なる神様への感謝の祈りを持って始められたことに感謝しています。また神様の摂理によって、大森地区の皆さんと共に、親しく会食できる機会を与えられ感謝しています。巨大地震と共に起こった、とてもつもない津波によって、一瞬にして、この惨状となりました。この住民のほとんどの方々の中に、家族、兄弟姉妹、親族、親しい友人や知人、多くの愛する方々の命が犠牲になった方をかかえています。私たち、心を合わせて、関係する方々のために慰めと癒しを祈りたいと思います。

そして、私たちはこのように生かされています。改めて、与えられた命、生かされている命であることを実感しています。共に支え合い、共に分かち合い、また励まし合って町の復興に尽くすことができればと思います。そのための知恵が必要です。実行する力も必要です。何よりも前に向かって踏み出す信頼の絆を強められることです。

直接の被災者でなかった私たちも、一人の隣人として取り組み、支援の先の復興を見届けたい、何よりも神様の御業に関わりたいと願わされています。

2011/07/19

南三陸町大上坊・米広、歌津町升沢地区

大森地区での支援活動の中で、中心となっている佐藤さんから、新たな地区、米広と大上坊、歌津町の升沢地区に住む方々を紹介されました。米広は内陸部に位置し、数軒ですが45号線まで広がる大上坊と一つの行政区になっています。大上坊は津波によって大半が破壊されています。升沢は45号線沿いで田の浦と伊里前湾の間に位置する地区で、どちらも直接的は津波被害を免れた地域です。

米広、大上坊
米広、大上坊は農業、漁業を営む人たちで現在は世帯数も20世帯足らずの集落です。大上坊はかなり被害は大きく、がれきと化した家、半壊した家など、空き家になっている家が目立ちます。現在避難している家族を入れると28家族、約73人ほどです。3.11の大震災の時には、入谷地区と同様、自分たちの持てるもの、特に米を拠出し、炊き出しのために大いに貢献しました。そして、津波被害を受けた方々を迎え入れたのです。またそれができた地区でもあります。しかし、いつまでも続くわけではなく、自主避難してきた方々がそれぞれの避難先に移動していくに従って、自分たちの日常生活の必要まで逼迫していることに気づいたのです。もちろんこうした地区には支援物資などはほとんどありませんでした。最近は食料等の支援があると聞いています。

歌津町升沢
また、升沢地区に住む方をも紹介され訪問しました。やはりここも同様でした。この地区は三方海に囲まれて、高台に位置することで津波被害はありませんでした。すぐ近くには避難所にもなっている平成の森のキャンプ場の施設があります。升沢は20世帯で80人ほどいます。道路を挟んで向かい側に比較的新しい団地があり、40軒ほどです。

家が残ったので、特に升沢地区にはやはり周辺の被災者、家族関係の方々が大勢避難してきました。話しを聞けば、下着の果てまで、あるものはなんでも被災者のために提供したとのこと。それで家のお年寄りはちぐはぐのものを着ているというのです。その地区の中心になる方は漁をしておられます。しかし、自分たちの浜に停泊していた船はほとんど失ってしまったそうです。今は日当をいただき、がれき処理に励んでいます。

家がある、しかし、被災者である。家があるだけに、支援者となって提供はしたものの、支援は全くないのです。それでも道すがら支援に来てくださった方があったようで、本当に助かったという。やはり、教会関係者が目立ったようで「私たちもキリストさんに助けられました。」との表現に驚きました。しかし、その後、特に支援はないというです。会って、話しを聞いてみなければ、外見的には支援を必要としている方々であることは分かりません。

さっそく両地区に、私どもに提供された生活用品、食料等、また夏物衣料を中心に三度ほど訪ねました。そこに集まる人たちの中には避難所からの人もおりました。また避難されている被災者もいます。両地区共、もう少しその地区の皆さんと交わりながら、実情を把握していく必要があります。支援物資が続く限りですが、何回か訪問したいと願っています。

特に、南三陸町は7月から水道の状態はとても良くなり、飲料に許可が出たようです。しかし、升沢地区はまだ飲料には適さないとのことです。ですから、この地区では、飲料水は貴重な支援物資です。

支援の先に
「受けるよりも、与える方が幸いです」との主イエス様の教えがあるように、真心からの支援と併せて、聖書の原則に基づいた人の生き方について分かち合えるように取り組むことができたらと願っています。

今週は明日、米広を訪問します。そして次週25日から28日まで「イザヤ58ネット」の皆さんがボランティア活動に参加されます。特に大森地区でバーベキューをしながら、地域の皆さんとの交流を深め、また地域の皆さん方も心の励みになるように、さらに信頼関係の深まる地域共同体となる一助になればと願っています。神様の働きに期待を込めて、

2011/07/07

石巻のために

「災害復興支援SBSネットワーク」が取り組むボランティア活動のもう一つの働き、石巻での支援活動があります。多くのボランティアを送れずにいますが、是非この地での活動のために祈りに覚えていただきたいのです。機会があれば実際にボランティア活動に加わっていただければと思います。

出発点は「祈りの家キリスト教会」(代表:阿部一)からでした。「祈りの家」は水明地区にあります。ここは津波の影響のないところとされていたそうですが、今回の大震災、その津波による被災を逃れることはできませんでした。ライフラインが回復するに従って、避難されていた阿部さんたちは不自由な中でも自宅に戻り、地域の方々への支援活動が始まり、今日に至っています。

そしてその支援活動の広がりとして、この石巻で津波被害を受けた住宅の修復のために、ヘドロかき出しや補修、地区周辺の清掃等があります。この働きのためにもう一人のリーダーシップを持ち取り組む方がいます。日本ルーテル同胞教団の宣教師、D.ベンソン宣教師です。

当初、本校に集まったクラッシュジャパンの一員として取り組んでいましたが、現在はフリーになって、サマリタンパースを中心に、いろいろな方々、国内外の諸教会からのボランティアグループ、団体と協力しながら活動の輪を広げています。

ベンソン宣教師が石巻に関わるようになるきっかけ、接点は「祈りの家」にありました。ルーテル同胞教団のメンバーである一人の姉妹が仕事上の関係で石巻に来られ、阿部さんたちのグループで信仰が育まれていたのです。そのような友好関係もあり、ベンソン宣教師は、ここ石巻での活動、「祈り家」支援を中心に取り組む決断をされました。そしてその活動を着実に広げてきたのです。

これまでサマリタンパースをはじめ、各団体、諸教会、国内外からの大勢のボランティアが支援活動に参加しています。災害時における教会のボランティア活動のあり方における一つ範例になっています。

今週はSBSネットワークの関係で、アメリから修復活動の次の段階に進めるために、建築に技能を持つ者が技術支援としてやってきました。当初はグループで参加する予定でしたが、結果的に一人となりました。リーダーのベンソン宣教師の片腕として、限られた日数でしたが支援活動に従事し、今日、その一区切りとなります。一昨日は指を怪我をして帰ってきたので、破傷風感染のことでちょっと心配しましたが、彼は何年か前に予防接種を受けているので大丈夫だというのです。

何より、この石巻での活動の素晴らしさは現地の人が中心となり、被災者の思いを大切に、一歩、一歩、丁寧に修復に励んでいることです。ボランティアの自己満足ではなく、被災者の満足を、量的な記録ではなく、質的な評価に耐える活動を、何より、聖書規範に基づく、価値観の共有と、信頼関係を築く取り組みをしておられることです。

現在は石巻港の西、新館という地域がその活動の場になっています。その誠実な取り組みのゆえに、人から人へと伝わり、活動の場が広がっています。何よりも地域の方々との信頼関係が深まり、神の民としての教会、またクリスチャンたちに対する信頼度が高まっていることです。必ず神の良き業がなされるに違いと期待しています。

教会が、クリスチャンたちが他日に備える意味でも、この地での取り組みは意味のある体験になると思います。ボランティアの一つに加えていただければと思います。また中心になって働いている現地の阿部さんや、ベンソン宣教師のリーダーシップのために祈っていただければと思います。

なお、石巻には多くの諸教会、団体が教会開拓を願って励んでいます。聞いているだけでも長老系の教会、バプテスト、キリストの教会、JECAの教会等々様々です。多くの人材、十分な資金を持って取り組んでいるグループもあります。願わくば、諸教会、教団教派が協力して取り組めたらと思います。これも大きな祈りの課題です。

2011/07/02

聖書の原則に基づく支援

南三陸町では特に支援の届かないところに支援をと願いつつ活動しています。旭が丘から入谷、大森と支援関係は広がっています。

来週には大森で知り得た米広という内陸部の集落を訪問する予定です。ここは海岸から離れ、山間の集落で、どちらかと言えば当初から支援に動いた地域のようです。食料は何とか確保できているようですが、日常的な生活用品の必要を訴えておりました。この地区の世帯数、近隣を含めて18世帯と、さほど大きな集落ではありません。

町自体が機能回復していないこともあり、全域に言えることですが、日常的な生活用品を手に入れることに窮しているようです。実際にこの地域の人たちに会って、その必要とする支援の実態を把握したいと思います。

同様に、歌津のある地域もその必要を訴えています。この地域も津波被害の大きな場所です。その地域で直接の被害を免れた集落の方々が、同様に日常生活用品の必要があり、できれば支援に来て欲しいとのことです。同じく、次週末に基本的な物を用意して、その支援の必要について情報を得たいと願っています。

また、旭が丘、入谷地区、大森地区もそうですが、そこの住民には被災した家族や親族の方々が身を寄せています。避難所でない被災者避難の方々で、やはり支援があれば大きな励みになるでしょう。緊急性というよりも、確かな支援があれば心の安心を得ることができると思います。

そして今後必要なのが仮設住宅に住み始めた方々への支援です。仮設住宅への移動は自立の一歩を踏み出すことですが、しかし仕事がない、収入の見通しが立たない方々にとっては、不安な思いで仮設に引っ越しする方は少なくありません。避難所で会った方の中には是非、仮設の方にも来て欲しいと懇願する方がおりました。

私たちが注意深く取り組んでいる課題は、支援活動が単に物を運ぶ、提供するだけの活動にならないように心がけることです。それが潤沢であればあるほど、地域住民の人間関係を壊してしまうケースがあるということを何度か聞いています。そのためには、その地域の方々と十分話し合うこと、同時に聖書の原則に基づく支援が実現するように知恵を尽くすことだと思います。中には聖書の愛とか憐れみの行為を勘違いしているボランティアチームがあるようです。

活動に当たっては、今は支援を受ける必要がありますが、しかし、やがて「受けるよりは与える方が幸いである」との聖書の教えの実現を目指すことです。ですから物資の支援と共に聖書の教えを紹介しながら取り組んでいます。そして福音に基づく新しい人生を始め、支援を受ける側から支援する人へと発展していくことが私たちの支援活動の目標です。こうした私たちの思いを受けとめてくださった方々が、自分たちが受けるだけでなく、支援を必要としている方々についての情報を与えてくださっているように思います。