2011/08/27

大上坊契約生活センター

毎週、何らかの支援活動で南三陸町を訪問していますが、18日(木)午後の大上坊・米広の皆さんとの交流は心を癒すひとときとなりました。今回はトルコで活動しておられる末冨夫妻の協力を得て、敦子夫人の現代箏曲、琴の演奏を楽しませていただきました。また上山聖書バプテスト教会のメンバーが生産するぶどう園から新鮮で甘いデラウエアーを提供していただきました。なかなか共に集まることもできない皆さん、私たちも含め、互いの信頼関係を深める幸いな機会となりました。

この大上坊は清水浜(しずはま)、その海岸から内陸の米広まで一つの行政区になっています。清水浜周辺は100件を超える家屋が津波に流されされました。亡くなられた方々も40名ほどおり、その多くはまだ見つかっていません。そして内陸部の方々は支援に献身的に取り組まれました。ここ数日で被災された方々の多くは仮設住宅に引っ越しされたようです。ただ、皆さんがばらばらの移動のようで、本当に気の毒な状況です。また、仮設住宅入居に当たったものの、仕事場との関係で距離がありすぎ、入居をためらっている方もいるとのことです。

ここに残っている方々は農業を営む方、漁業の方などですが、漁業の方々は船を失いました。農家の方も田畑が津波の被害を受けて手がつけられない状況にあります。こうした方々は本業ではなく、がれき撤去に従事し、日当を得ています。津波被害を受けなかった方々はかろうじて菊の栽培、農作物の栽培を続けていますが、しかし春先の大切な次期に作付けや、手入れができず、思うような生産ができないとのことです。何よりも、農協の津波被害などで流通経路が絶たれていることです。

一つのアイディアとして、この地の農産物を買い受けて、被災地支援を願う方々に購入していただくことです。支援のもう一つのあり方、次善の策として取り組んでいいのではと考えています。少しでも現金収入が得られるならば、来年の農作業につながりますし、復興支援に寄与することになると思います。こうした取り組み、そう容易なことではないと思いますが、知恵を尽くして実現していきたいと願っています。

末冨夫妻、そのご主人は65歳になってからクリスチャンになられた方です。それまでゼネコンのビジネスマン、国内外駆け巡る技術屋として働いていました。後には自ら設計事務所を開設し、事業を展開していましたが、一つの挫折をきっかけに、先にクリスチャンになっていたご夫人の薦めを通して、とても明快な新生体験をし、クリスチャン人生を送っています。お金と物欲、偽りの人生から180度転回し、真心から夫人を支え、現代箏を通してトルコで、クリスチャンの素晴らしい生き方を紹介しています。

今回、末冨さんの率直な証を通して、皆さんにクリスチャンという存在を紹介することができました。あまり口数の少なかった区長さんもとても喜んでくださり、笑顔で写真に収まりました。再会を願ってお別れしました。

2011/08/19

これからの「南三陸町」

昨日、18日(木)、「南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク」が現地の「ホテル観洋」で開催されました。南三陸町での支援活動、一つの新しい段階、展開に進もうとしています。午後1時からこれまで支援に関わってこられた方々、これから関わろうとされる方々、教会や諸団体が共に集まり、協力の可能性について話し合うことになりました。当初、30名以内と予想していたのですが、なんと60名ほどの方々が集まりました。

これまで関わっている方々の取り組み方は様々でしょう。その方針や理念はそれぞれ異なるものがあります。支援活動は行うが、教会建て上げはしないという団体、自分たちは教会建て上げをしないが、地域教会の働きを支援するという団体、また法人の性格上、教会建て上げに直接関われない団体もあります。逆に何かにつけ、伝道することを優先し、活動していこうというグループ、乱暴な言い方になるかもしれませんが、支援と回心を取引的に取り組んでいこうという方々もいないわけではありません。しかし、これは次第に成り立たなくなるだろうと思います。植民地的宣教は復活させない、日本の文化を尊重し、文化の中で新たな宣教戦略が生み出されることです。

しかし、最初に結論ありきで臨まないということ、これまで南三陸町に関わってきた方々が一同に会し、今後の支援と宣教、その協力のあり方を模索できればとの願いがありました。被災地の状況の変化も、避難所から仮設住宅など、大きく変わりつつあります。合わせて支援の在り方も変化に対応していく必要があります。そういう意味では時宜にかなった会合であったと思います。これからに期待しています。

そうした中で、私たちは宣教の大切さ、教会共同体の建て上げの大切さを明確に意識しつつも、もっと自然発生的に宣教が進むように考えています。見える福音としての支援活動を進める中で、その結果として、主に心を向ける人たちが起こされることです。それは支援だけでなく、福音に生きる、人の生き方にどのように関わるか、人の生き方にいかに聖書の真理を、言葉と行動で教え示していけるかに関わっているように思います。つまり、人道支援を超える支援を具体化する知恵が求められています。

また、宗教団体であるけれども、決して行政側の信を失わない、むしろ行政側との信頼関係による連携を保ちつつ、誠実な支援と自然発生的な宣教の実現を目指すことです。こうした支援のあり方を実践し、キリスト教団体に対する確かな評価や信頼を得ることができるような取り組みになればと思います。教会は地域、町の繁栄に寄与、貢献する存在でありたいのです。是非、それを実証していきたいと願っています。

そういう意味ではかなり長期戦の取り組みを想定する必要があります。同じ思いを共有していただける方々がどれだけネットワークに加わっていただけるか、どのように協力関係を築いていけるか、全く予想がつかないのですが、期待しています。

南三陸町に限らず、私たちがこの町の復興に寄与・貢献できるような仕方で支援と宣教を考えることができればと思います。目先の霊的な成果を記録していくのではなく、もっと大きなスケールで宣教を考えていこうとしています。そう言う意味では、関係者がさらに突っ込んだ意見交換が必要だと考えています。

こうした考えは聖書の意図であり、まず、神が聖別した神の民イスラエルに示し、そして奥義としての教会に継承されています。

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」(エレミヤ29:4~7)

この神様の意図は異国の地で仕えるダニエルの生涯に結実しています。そして、まさにそれは新訳聖書の奥義としての教会の存在に継承されました。

「あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。
これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。
私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。」(テトス3:1、8、14)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」(ⅠペテロⅡ:12~15))

いずれにせよ、支援と宣教に当たって、キリスト教関係者が、現実的にはかなり難しさが伴うだろうと思いますが、しかし、互いに補完し合いながら支援と宣教に取り組むことは大切な視点だと思います。