2011/09/26

感謝の芋煮会

一つのチームが、2週間連続のボランティア活動は、少し長いかなと思っていましたが、あっという間に終わりました。土曜日午後には皆さんを見送りました。「オレゴンからの愛」、日本人教会の「ホープジャパン」の奉仕に感謝しています。最初の一週間は真夏のような暑さの中での南三陸町、次の一週間は台風の影響による大雨と晩秋を体感する寒さの中、石巻での作業活動となりました。とりわけ時差による体調変化とも苦闘しながら取り組みでした。それでも次につながる働きになったことに感謝しています。

次の活動の主なものとして、「山形芋煮」を囲んで、これまで取り組まれた方々と感謝の時と、そして将来を見通す希望につながるような交流を企画していこう考えています。

当面確定した日程では10月5日(水)お昼を中心に、中瀬町地区の仮設住宅、その集会場で行います。翌日6日(木)は大上坊契約生活センターで、やはりお昼を中心に計画しています。イザヤ58ネットの皆さんの協力を得る予定です。

中瀬町地区は、この地区に住む住民皆さんが、自らの土地を提供し、住民がまとまって入居された方々で話題になりました。その他、入谷とか志津川高校にも避難された方々はいます。私たちは支援先で出会った方々を介して声がけをいただきました。

23日(金)にはこの地区の区長さんともじっくり話し合うことができました。特に「支援の在り方」に関する考えを聞くことができ、今後の取り組みについて、考えさせられることが多くありました。いかに被災された方々が自活、自立の道を見出していけるか、それを実現するための支援活動を実現できるかどうかです。それにしても、全くの素人である私どもの働きを受け入れていただき感謝しています。

なぜこうした取り組みを行うのかと、一つは住民の方々の要望があります。応えるべきだと受けとめる間はできうる限りのことをしていきたいと考えています。何よりも、住民の方々が安心して心開ける関係が大切であることを受けとめました。

翌日の大上坊はその隣の米広と一緒ですが、ここも支援先での人との関係から紹介され、交流が続いています。まさにこの地区の人たちは支援する側に立って、多くの犠牲を払われた方々です。こうした方々に対する支援はほとんどありませんでした。直接被災された方々よりは回復が早いと思われますが、しかし、その労苦に報いることは大切だと思っています。こここそ、「感謝の芋煮会」になります。同時にここには高齢者が多くいます。今回の大震災を期にこうした高齢者に対する配慮が十分でなくなっています。余裕がないと状況を理解できないわけではありません。しかし、高齢者が邪魔者扱いにだけはなっていただきたくないのです。

高齢者の方々に対する配慮については、仮設住宅にも共通の課題があります。これまでの労苦を考えると申し訳ない思いになります。すでにデイサービスの活動も始まっていますが、こうした働きを邪魔することなく、むしろ相乗効果を高めるような取り組みができればと思います。今後の支援継続を考えるときに、高齢者に対する支援は考慮すべき一つの大切な課題と考えています。

2011/09/18

支援の先に

オレゴンからのボランティアチームが、一週目、南三陸町の図書館再開に向けた奉仕に専念し、何とか全うすることができました。寄贈された書物の仕分け、新しい図書のカバーかけ、登録された図書の展示作業などなど、根気の要する仕事でした。しかし、チーム全員がとにかく熱心に働く人たちで本当に感謝しています。何となくボランティア活動に参加した、ということに終わらない、一定の働きを成し遂げることを願いました。一週間、取り組めば、ある程度の成果が見える活動になるではと期待し、熱心に取り組むことにしました。

職員の人たちとも二日、三日となると自然なかたちで交流は深まるし、仕事ぶりや、不断の言動を通して信頼関係を築き、また「キリストを知る知識のかおり」を放つことになります。図書開設に関わる責任者の方々は避難所での支援活動の時からの関係者で、すでに信頼関係を築いている方々です。今回は、本来の仕事に復帰された彼らに仕えながらの支援となったわけです。

そういう意味では何よりも、しっかりした仕事をすることが確かな支援になるわけです。それだけに限られた時間で、なすべき仕事をしっかり教えていただき、その労に勝る仕事を成し遂げなければという緊張感がありました。とにかく真剣に最善の仕事ができるように一生懸命でした。さほど会話も仕事に関することでなければ広がらなかったのですが、それでも次第に慣れていく中で、会話が生まれます。特に3.11大震災当日のことがなにげなく話題に上りました。

あれから半年もなるというのに、つい最近のように話されます。だいぶ落ち着いた感じでしたが、何か心の整理の中でひっかるものがあるようにも思われました。地震発生後、保育園に子供を迎えに車を走らせていく途中で、避難する年配の方々から、車に乗せて、と何度も請われとそうです。ごめんなさい、子供を迎えに行くので、と断りながら走らせた時の心の葛藤や苦痛はこれまでにない経験であったようです。しかし、避難先でそのお年寄りの方々に再会し、無事であったこと、「誰も恨んでいないよ」との言葉に胸をなでおろしたというのです。生死を分ける緊張感の中での体験、その場に居合わせなければ知り得ない葛藤であったと思います。

そして翌日、チームの一人、日本人女性、エメリー姉妹がその彼女と個人的に福音のことに及ぶ深い対話に導かれたとのことです。そして、自分もクリスチャンとして生きていきたい、イエス様を信じたいと話されたというのです。クリスチャン生活をどうするのか、とまで話しが及んだというのです。

私たちは支援と宣教は一体のものと解しています。しかし支援活動の中、つまり与える側と受ける側、という特殊な心理状況の中では、特に聖霊の働きによって相手からの問いかけが起こることを期待し、また信じて、とにかく誠実に仕えることに徹していこうと心を定め、祈りつつ取り組んでいます。

コロサイ人への手紙の中でパウロは「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」との勧めに注目しています。支援の先に、福音を信じ受け入れ、そして信仰と、生き方が一つになったクリスチャンたちがこの町に起こされ、その彼らを通して支援の輪が広がっていくことを祈り、期待していきたいと願っています。

2011/09/11

変化に対応する

8月後半から、9月第一週にかけて神学校の働き、行事等が続きました。本業をおろそかにしてボランティア活動は成り立たないわけで、当然と言えば当然なのですが、両立の厳しさを覚えるときでもありました。

ちょうどこの時期、8月から9月にかけて、とりわけ南三陸町に限って言えば大きな変化があります。第一次避難所はすべて閉鎖され、被災者のほとんどは仮設住宅に移ったことです。また自主避難者も、私たちが関わってきた地域を見る限り、ほとんど仮設に移ったようです。

共に活動をする中澤牧師と共に南三陸町の仮設住宅のいくつかを訪問させていただきました。また仮設住宅に対する行政の責任者とも面談する機会が与えられました。明確なのは、被災者がいかに自立の生活を取り戻せるかにあります。現実には自立の道のりは容易ではないのですが、しかし、闇雲に物を提供していくだけの支援ではなく、その先を見通した支援の取り組みが必要です。

仮設住宅は町内だけでも50箇所を超えますし、10数戸単位から、200戸を超える大きなところまで多様です。避難所は支援を必要とされる方々の全体が見える訳ですが、仮設ではそうはいきません。それなりの信頼関係を持たないと続けられないだろうし、どう取り組むか知恵を必要としています。

単純には支援物資を持って戸別訪問することも考えられますが、避難所のように同じ手法では効果的な支援は実現できないのではと思います。

これまで関わってきた方々を通して的確な情報を得ながら、対応していくべきでしょう。また行政側にも方針があり、その支援の原則をある程度、共有しながら取り組まないと閉め出されてしまう可能性もあります。やはり、もう少し長い目で着実に取り組んでいきたいと思います。

9月初めに、これまで定期的に協力してくださっている「イザヤ58ネット」の皆さんの協力をいただきながら、在宅避難者の世話をしていた大森地区の皆さんと「お茶の会」を設けました。中心になってくださった佐藤さん宅に、班ごとに連絡係を引き受けてくださった方々に声がけをしていただき、集まっていただきました。

3.11大震災の当日、そしてその後、それぞれが、それぞれの恐怖や苦痛、また悲しみを体験されました。一時間、二時間、途切れることなく話される話しをじっくりと受けとめました。このような繰り返しの中で、心の傷が癒されていくのだろうと思います。未だに、すぐそばの海岸を散歩するのを躊躇し、あえて山の方を歩いている方々もいます。改めて「傾聴」の重要性を覚えました。これもまた大切な支援の一つです。何よりも地元にいる方々が元気になり、そして地元の支援を必要とする人々を支える活動が生まれればと願っています。

引き続いて、今週から、アメリカ、オレゴン州にある日本人教会メンバーを中心としたチームが二週間(9月11~23日)ボランティア活動に取り組みます。南三陸町での図書館再生の活動が予定されています。全国から贈呈された書籍の整理に取り組みます。町の図書館は今回の津波で完全に流され、現在、トレーラーハウスなどを用いて仮設の図書館がオープンし始めています。そして次週は石巻でも作業奉仕をする予定です。その合間に「お茶の会」を行えればと願っています。