2011/10/31

波伝谷地区訪問

まさに「芋煮会」日和の週末、土曜日(29日)に、波伝谷仮設住宅の皆さんと山形芋煮をいただきながら、これからの生活について、また仮設住宅の課題等々について、穏やかな日差しを浴びながら話し合うことができました。波伝谷地区の住民の方々はこの地域にある仮設住宅の三箇所に分散しているようです。漁業関係者が三分の二、三分の一が農業に営む方々とのことです。今回訪ねたのはその一つ、50人弱の被災者家族、しかも全員、この地に住んでいた方々で、気心の知れあう方々が入居しています。梅やブルーベリーなどを育てていた地元の方の土地が造成され、仮設住宅が建てられました。

皆さんにお会いするのは今回初めて、先週、是非、支援活動をお願いしたいの依頼を受けて、この日に備えました。その歓迎ぶりは、初めてとは思えない親しみのあるもので、私たちも全く緊張することなく取り組めました。気がかりであった年配者の方がおられます。この方々への配慮を考えていきたいと願っています。

この地区の自治会長さんは知る人ぞ知る方で、「農魚家レストラン慶明丸」の経営者です。しかし、今回の大津波ですべて破壊され、流されてしまいました。これからのことについて、色々話している中で「小規模でも再開するようになったら是非来てください」とか「皆さんに紹介してください」と、何度か話されました。今の時点では、何も具体的な手がかりは見えていませんが、しかし、レストランの再建に向けた意志を感じることができて、とても嬉しく思いました。やはり、南三陸町の皆さんの願いは、かつて営んでいた仕事を再開できることです。

自分たちが取り組む支援は小さなものですが、その支援の先に願うことは、それぞれの方がそれぞれの本業に取り組むことができるようになることです。そうして初めて、復興と言えるのだろうと思います。その時、支援する、される関係の中ではなく、信頼と尊敬の中で、なくてならないもの、永遠に価値あることについて話し合うことができたらと思います。

なお、25日(火)に大森地区と歌津升沢地区方々の要望に応えて米を提供することができました。そのほとんどの米は中澤牧師のチームが所有する米でお預かりしていたものでしたが、状態から食べられなくなる危険性を回避するために、了解の上、利用させていただきました。「イザヤ58ネット」の提供分を加えて必要としている方々に提供でき感謝しています。主食は今後も定期的に提供できればと願っています。

今年最後の「イザヤ58ネット」の皆さんが来られる、11月17日(木)にも波伝谷を訪問する計画です。その前に、もう一箇所、切曽木地区の仮設住宅を訪問する予定です。

また、11月8日に小森地区の仮設住宅を訪問します。この日は中澤牧師グループの支援活動支援になります。

2011/10/22

大森での芋煮会

今週の20日(木)、久しぶりに大森地区の皆さんとの交流の機会が与えられました。私たちとの交わりというよりも、地区住民間の交流です。みんなが一つになって前に向かう力を得られればと思います。

今、シーズンの山形芋煮を楽しんでいただきました。大鍋二つ、150食分の芋煮です。食材は山形にある「元気市場」であらかじめ注文し、前日に受け取ります。里芋、山形牛、板こんにゃく、ネギ、ゴボウ、調味料として醤油、酒、砂糖、塩です。里芋、かつては、この皮むきが一作業でしたが、現在は皮をむいた芋を購入することができます。そして、その夜、塩を使って下準備、里芋のぬめりを押さえます。板こんにゃくはゆがいてあく抜きし、ネギは斜め切りに、ゴボウはささがきにして下準備完了です。

芋煮は全員参加型の鍋料理です。当日、特に大森地区は有志の婦人たちが自主的に集まり、おにぎりを握ったり、芋煮の作業に参加します。板こんにゃくをちぎったり、あくを取ったり、芋が煮えたところでお肉を入れ、肉のあくを取り、味を調えます。最後にネギを入れ、火が通ったところで出来上がりです。

通常は河原で釜を作り、薪を燃やすわけですが、今回のように大人数で、大鍋の場合はプロパンガスを用います。地元への還元も考え、地元の燃料屋さんにあらかじめ頼んでおき、当日、釜にセットしていただきます。一鍋、75食分ですが、ほぼ一時間ちょっとでできあがります。いつもガスボンベを運んでくださる方が、なんとのこの大森の住人でした。

今回の会場はこの地区のまとめ役、源六さんの中庭、景観の良い場所で、ここから志津川湾を見渡せますし、対岸にホテル観洋が見えます。すぐ下に降りれば海岸で、公園などもあり、芋煮の場所として、好都合なのですが、しかし、この地区の人たちは、まだ海の方に行くのを避けたい、海岸への抵抗感があるようです。

中庭にブルーシートを敷いて、ちょっと堅めですが、輪になっていただきました。この日は天候も穏やか、暖かい日差しの中での芋煮会となりました。今回も近所に住む年配の男性、かつてクリスチャンであった方ですが、ハーモニカで何曲か演奏してくれました。その中に「いつくしみ深き友なるイエスは」など賛美歌をも演奏されました。表情から、心は神様に向かっているように思えました。

次回の予定

来週は土曜日、29日に波伝谷の仮設住宅で芋煮会を行います。ここは中瀬町の仮設住宅で出会った「FMみなさん」の和泉さんの紹介で実施することになりました。波伝谷はほとんど支援グループは来ていないとのことです。最近、初めてお茶の会を開くようになったというのです。総勢50名ほどの小規模の仮設住宅です。私たちは支援の届かない場所に優先的に出向きたいと願っています。そしてその人たちの必要をお聞きし、その必要に応えられるように知恵を尽くしたいと願っています。何よりも人との関係を大切にし、三陸町の中で支え合うネットワークが生まれる支援活動になればと願っています。

なお、来週は私どもの宣教団から「短期宣教チーム」が来日し、支援活動に取り組みます。主として石巻の津波被害家屋の修復作業に取り組みます。この地区のでのボランティア活動、その必要はまだまだあります。お問い合わせください。

2011/10/16

大久保仮設住宅

12日(水)大久保の仮設住宅で、いわゆる「炊き出し」が行われました。きっかけは支援関係でお会いしている歌津の升沢地区で出会った家族で、その娘さん家族が大久保の仮設に入居したということ、しかも、目立たない地区で、さほど支援も来ているわけではないとのことをお聞きし、是非一度、訪問しますと約束していました。南三陸町で共に支援活動に取り組む中澤牧師に情報を伝えたところ、調整していただき、一緒にやりましょうということになりました。

ここには、仮設住宅に集会所がないので、文字通り「炊き出し」となりまりした。秋晴れの下、四つほどのグループが一緒になって取り組むことができ、感謝でした。これから、それぞれが、それぞれの導きで支援活動を展開してきましたが、今後はなおいっそう情報を共有しながら、ただ一つ、南三陸町の復興支援のために協力し合っていくべきだろうと思います。とても良い機会が与えられたと思っています。

良い天気にも恵まれ、最良の野外活動でした。一つは新鮮なサンマの炭火焼き、それに暖かい御飯、そして私たちの「山形芋煮」、山形牛を用いた芋煮です。今回は思いがけず、サマリタンズパースから予算の半分ほど、資金援助を受けられました。

芋煮は私たちの子供の頃から経験ですので、まったく負担感はありません。しかも実に手軽な調理ですので、初めての方でもすぐできます。理想はグループ単位でかまどを作り、煮込むのがいいのですが、今回のような支援活動では場所も限られますので、大鍋でやるのが効率良くできます。

里芋と板こんにゃくを煮込んで、里芋が柔らかくなったところで牛肉、牛肉は最初にさっと炒めておきます。そして酒、砂糖、そして醤油で味を調え、最後にネギを入れできあがりです。汁は余り多くしません。たっぷり里芋とお肉をいただきます。人によってはキノコを入れたりしますが、今回はゴボウを見えない程度入れてみました。またもう一つミネナル豊かな塩で味加減を調えてできあがりです。

今回は平日の昼ですので、持ち帰りの方々が多かったようです。しかし「芋煮」は温め直すとさらに美味しくなりますので、扱いやすい鍋料理だと思います。

次回は20日(木)、大森地区で、やはり「山形芋煮」を行う予定です。在宅被災者中心ですが、私たちが関係する前に、なんと支援を受けることを契機に少しずつ、 住民感情に摩擦、互いの信頼関係にギクシャクしたものが生じてしまったようです。聖書の原則に基づきながら、心からの支援を通して、こうしたギシギシ感が取り除かられ、受けることから真に与える人、支援する人たちになっていただけることを願っています。

2011/10/11

山形芋煮感謝会(2)

「山形芋煮二つ」のもう一つ、それは「大上坊契約生活センター」での芋煮会で、文字通り感謝の芋煮会となりました。と言いますのは、この地区の皆さんは海岸に近い方々は津波被害がありますが、内陸部は被災者の受け入れ、また被災者支援の取り組みに労されたからです。そして今では受け入れた被災者も仮設住宅に移られました。それでも、直接の被災はないものの、兄弟や親戚の方々のうちに被災者がおり、皆さん痛みをかかえておられるます。それでも少しずつ、本来の仕事が回復しつつあるようです。 この日(6日)はあいにくの雨、予報では午後に晴れるということでしたが、結果的には芋煮ができあがるまで、雨は降り続け、帰る頃になってようやく雨は上がりました。しかし、雨の日であったために、働きを中断しなければならなかった男性の方々が出席することができて感謝でした。

雨の中、外で芋煮を行うために、知恵を求められました。芋煮は基本的に野外ですので、いろいろな状況に対応しなければなりません。慌てることもなく、建物の軒を利用し、はみ出す分は車の後ろのドアーをはね上げ、ちょうど良い空間を作ることができました。駆けつけてくれた区長の及川さんが手際よくブリーシートを張っていただき、万全な状況で取り組むことができました。

イザヤネットの牧師が実習をかねて芋煮を実行する手はずでしたが、かまどをセットしている際にブロックを動かそうとした瞬間、ぎっくり腰になってしまい、ダウン。同行の姉妹による腰の体操指導で何とか動けるようになりました。芋煮で体が温まったところで、ウクレレの伴奏で賛美歌を歌ったり、全員で懐かしい唱歌を歌ったり、加えて、なんと一人の姉妹よるゴスペルフラを披露していただきました。手の表現の美しさに感動しながら、本当に和やかな時を過ごしました。

最終日で栃木まで戻るチームは少し早めに出発する必要があり、ぎっくり腰のリーダーは地元の方から腰バンドを譲り受けての運転です。名残惜しみながらのお別れでした。私たちはその後、地元の皆さんと後片付けをし、また再会を約束しながら仙台に戻りました。皆さんの震災時における労苦に、ささやかながらねぎらう「感謝の芋煮会」を持つことができました。

今週は12日(水)に大久保にある仮設住宅で芋煮会を行います。ここは、さほど大きな仮設住宅ではなく、近隣の方々を含めて100人ほどの芋煮となる予定で、今回は山形牛を用いる予定です。11月中旬くらいまで、南三陸町の各地で、体も心も温まる芋煮会を実施する計画です。

2011/10/07

山形芋煮感謝会

今週は「イザヤ58ネット」のボランティアチームの皆さんの協力を得て、南三陸町の二つ地区、中瀬町(5日)と大上坊(6日)で「山形芋煮感謝会」を実施しすることができました。また、並行して、4日から、石巻で継続している津波被害の家屋修復支援に取り組みました。

「芋煮会」 一つは中瀬町の仮設住宅です。この場所は、この地区の被災住民の大部分の方々が一緒の避難所生活をし、そして、同じ地域住民の方々が土地を提供し、仮設住宅が建てられました。そして、地区住民が一緒に、この仮設住宅に移動して来ました。河北新聞でも取り上げられるほどの南三陸町の話題の地区です。

避難所いるときから「RQ」のボランティアの方々が、それこそ親身なって支えてこられたようです。現在も毎日のようにボランティアチームが送られてきています。また、関東学院大学のチームも5週間にわたって支援され、その後、利府教会を介してコンサートなども行われたようです。

私たちのような小さなグループが、何ができるのか思い巡らしていましたが、図らずも避難所にいるときにお会いした家族がこの中瀬町の住民で、この方のリーダーシップにより、ささやかながら支援の機会が与えられました。また、この地区の区長さんとも出会う機会が与えられ、今回の「芋煮会」となったわけです。

少なくとも約140食分、これまでにない大量の芋煮です。芋煮は単純な料理と言えば単純ですが、引き受けはしたものの、入り交じる不安と期待の中での挑戦となりました。現在、保有する鍋を使用するとなると、五つほど必要になり、かまどや人員を考えると難しいと判断し、直径60センチの大鍋を使用することにしました。二つあれば十分間に合いますし、管理もしやすくなります。プロパンガスは現地の燃料店にお願いし、協力いただきました。

幸い、この地区の方々が積極的に応援してくださり、特に、この仮設住宅のために提供した地主、勝倉さんの配慮もあって、事を順調に進めることができました。ちょうどその日は「RQ」のボランティアの方々もおられて、さも当然のように、爽やかにお手伝いいただきました。

同じ中瀬町の仮設で、少し離れた高台にある仮設の皆さんや、集会所に足を運べない高齢者の方々にはにはこちらから、出前をし、楽しんでいただきました。

また、今回は神戸のボランティア「雑巾を縫う会」の皆さんから贈られた、手作りのナップザックや小物入れなどをお渡ししました。大変な人気で、150個ほどのものはすべてあっという間になくなりました。

これが一つのイベントに終わらず、この地区の方々とは継続的に交流し、実質のある支援が実現できればと願っています。現在、継続中なのが、仮設住宅の軒先に敷設する雨よけ造作工事支援です。